謙信公祭

第78回 2003年8月16日開催
第78回謙信公祭ポスター

謙信公祭はその名の通り、越後の戦国大名・上杉謙信を主役とした祭りで、かつての謙信の居城・春日山城跡がある新潟県上越市で開催されております。謙信公祭は、大正15年に当時の高田市・直江津町・春日村の青年団が上杉謙信の遺徳を讃えて主催したのが始まりで、今では市をあげての祭となっております。
祭りは2日間行われ、春日山神社境内では出陣式である武蹄ぶてい式や献納米合戦というレース、そして上杉軍と武田軍に扮した武者行列が街を練り歩き、夕闇の篝火を浴びて勇壮な川中島の戦いが繰り広げられます。この祭りの参加者は県内外を問わず広く一般から募集されており、今年は主役・上杉謙信も一般から募集されました。
新潟県はさすがに遠かったのですが、夏休み期間中であったこと、越後のサムライダー・やーたろー殿はじめ多くの歴史祭り仲間が参加すること、そして何より
上杉謙信公が主役の祭りなら、行かないわけにはいかない!!
と、いうわけで募集が始まってすぐに応募したのでありました。

して、今回の拙者の役柄は「新発田治長(上杉軍武将)隊の武者」。役柄上、拙者の主君にあたる新発田治長はやーたろー殿が務める他、新発田隊には松永弾正殿、あゆみ殿のお二方も配属されました。
此度は石和以来の大人数参加の合戦劇。真夏ではありますが、今回はちょこっと野望を秘めて行って参りました。


越後はちと遠いのですが、拙者は夏休み中で時間には余裕があったゆえ、青春18切符を使ってのんびり在来線を乗り継いで上越まで向かったのでした。途中、特急の指定席が取れなかったという弾正殿と合流。また、次の列車の待ち時間の間に、これまで拙者が参加してきた全ての祭りでお会いしている真下昌景殿と再会して激励を受けたのでありました。残念ながら、真下殿は此度の謙信公祭には都合が合わず不参加。これまで共に参加してきた仲間が一人いないのは寂しくもありましたが、これも仕方ありませぬ。明日は真下殿の分まで楽しんできますぞ!!

さて、日本海を眺めながら列車は進み、やっとこさ春日山に到着。既に前日のリハーサルが始まっている時間ゆえ、拙者と弾正殿は会場となる史跡広場へ直行。広場には40〜50人ぐらいの人が集まっており、部隊ごとに整列していました。その中で一番最初に目に付いたのは、作務衣に笠をかぶった御仁。
(あの方はもしや・・・)
拙者の予想通り、その御仁は上杉播磨守定景殿でいらっしゃいました。リハーサル終了後に挨拶したときは
「今日は忍びで来たのですが・・・」
と言われましたが、その姿は現代ではかえって目立ってしまいまするな^^;。しかし、この時の播磨殿の言葉は真実だったことを、拙者は後に知ることになります。
史跡広場合戦劇が行われる会場。遺構を基に堀と柵を作ったそうです。

今回は歴史祭りの先輩・惟新殿(今回はなんと上杉軍の猛将・柿崎景家役!)はじめ、先輩・後輩・同期の方、顔見知りの方も初顔合わせの方も多数いらっしゃいました。一通り挨拶回りをして早速リハーサルに加わります。今年は去年よりも、合戦劇が内容盛りだくさんになっていると、やーたろー殿から聞いていたのですが、確かにいろいろと出動する回数は多かったです。覚えておくことは多くなりますが、その分かなりおもしろそうなのは間違いなしでしょう。リハーサル終了後に、隊長のやーたろー殿が祭りの運営にあたる丸竹産業スタッフの方に、「野望」について確認。
その後に仲間内で軽く前夜祭(?)をやってから、明日に備えるのでありました。なにせ、今回はちょっと野望を持っての参加でありますからな^^。
この時拙者をホテルまで送り迎えしていただいた雨順斎全長殿、やーたろー殿、ありがとうござる。
m(_ _)m


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