謙信公祭

第78回 2003年8月16日開催
快晴じゃ!

さて、8月16日、本番当日。週間予報では心配だった天気も、ご覧の通りの快晴でありました。これだけ晴れると、相当の気温になるおそれもありましたが、幸いなことに猛暑にはならないという予報(もちろん暑いのですが)。

正午の集合時間まで時間があったゆえ、拙者は謙信公のお墓、川中島の戦いの戦没者の供養塔がある林泉寺へと向かいました。立派な山門をくぐって、まずは謙信公のお墓で手を合わせ、続いて戦没者供養塔で手を合わせました。
もしも死後の世界というものがあるのなら、彼らにご冥福あらんことを・・・
さて、お墓参りの後は資料館で「刀八毘沙門天」の旗、「龍」の突撃旗、朝廷から賜ったという紺地錦の日の丸の旗などの謙信公縁の品々 を見て一服。春日山城にも登ろうかと思ったのですが、時間がちょっと半端。朝から山登りで体力を消耗するのもどうか・・でも行ってみたい・・と迷いながら林泉寺を出たところで、見覚えのある方を駐車場で発見。隊長のやーたろー殿でありました。
ここで、今日行う「ちょっとした野望」について、隊長と協議を行いました。おっと、「さっきから出てくる野望って何??」と思っている方が大勢いらっしゃる模様。「ちょっとした野望」というのは、行列中に何かしらパフォーマンスをやろうという話が前から出ており、今回新発田隊でそれを実践してみる、という事なのでござる。といっても、原案を作った拙者自身、こういう企画は今回が初めて。やーたろー殿も初めて。この時はまだ、企画を立ててスタッフの了解を得てはいても、実際に実行できるかどうかは不安な状態でありました。しかし、ここまで来て取りやめるのはあまりにもったいない。あまりうまくいかなくても、とにかく元気一杯でやろう!ということを二人で確認しただけでありました。そうこう話しているうちに時間が押し迫ってきたゆえ、拙者は集合場所である春日小学校へと向かったのでありました。

ところが、着いてみたら予定より1時間ほど早いではありませぬか。まだ受付も始まっていませんでしたが、拙者よりも先に昨日お会いしたあゆみ殿やじーや殿、うーろん殿達の一団が既に到着されておりました。ふと見ると、小具足に陣羽織を羽織って烏帽子をかぶっている御仁が・・・・
そう、上杉播磨守殿であります。午前とはいえ、気温は上昇してきたにもかかわらず、誰よりも先に戦闘準備を整えるとは・・(驚)。昨日の作務衣に笠の姿は「忍び」に過ぎなかったのですね。しかし、拙者はまだまだ上杉殿の凄さを十分認識できていなかったのでござる。
鎧陳列体育館に陳列された鎧兜の数々。今では見慣れた光景であります。
新発田隊鎧兜
新発田治長鎧兜
新発田隊の鎧は黒の桶側胴に三日月前立ての黒い兜。 新発田治長様の鎧はご覧の通り、鮮やかな色々威し胴でありました。
謙信公鎧その1
謙信公鎧その2
こちらは一般募集の謙信公が着用する鎧兜。さすがに見事な逸品であります。 こちらは騎馬戦に出るもう一人の謙信公(影武者?)が着用する鎧。こちらも立派であります。ちなみに、二人の謙信公は人前ではほとんど白頭巾をかぶっておられました。

信玄公鎧兜 敵役である信玄公の鎧兜。う〜〜ん、見事!!

さすがに甲冑製作をされている丸竹産業さんが運営される祭りだけあって、綺麗な鎧がたくさんありました。写真を撮って、お昼を食べて・・としているうちに続々と参加者が集まってきました。やーたろー殿、弾正殿はじめ、新発田隊のメンバーも続々と集まってきました。拙者は新発田隊の方々に、今回企画した行列パフォーマンスを説明して協力を仰ぎました。最初は「そんなの面倒くさい。」と言われたりするかなぁ・・・、という心配もありましたが、話してみると皆様のりのいい方々ばかりで、全員の協力を得ることができました\(^O^)/!!
前口上も言いたいという方も予想以上に多く、台詞を分割しても希望者全員には回らないほどでありました。謙信公祭の参加者は士気が高いと聞いておりましたが、まさにその通りでありまする。

白頭巾の播磨殿

お昼を買ってきた播磨殿。いつの間にやら白頭巾をかぶっておられました。さすがにこれには皆様びっくり。それにしても、播磨殿はいったいいくつの荷物を持ってこられたのでしょうか??

参加者がほぼ集まったところで、今回の祭りの運営にあたる丸竹産業さんからご挨拶。それから着付け・リハーサルと流れていきます。新発田隊の着付けは恐れ多くも甲冑師殿直々の指導で、草鞋の履き方から丁寧に教えてもらいました。

再び対決!

先月の大山・佐々成政祭りでは信長と光秀という形で対決した左馬之助殿と拙者。今回、左馬之助殿はなんと武田軍の真田幸隆役!
祭り前から、上杉軍配属となった方々から狙われており、カメラ目線な拙者も、この時は打倒幸隆に燃えておりました。

女武者隊
武田勢よ、覚悟!!

色鮮やかな女武者隊。この写真を見て
「How beautiful they are!!」
と言った外人さんがおりましたが、拙者も同感でござる。

先ほどは自主的に謙信公の影武者を務めた(?)上杉播磨守殿は、本庄実乃隊の槍武者役であります。こげ茶色の鋲留桶側胴が渋いです。
武田勢よ、覚悟せい!!

武田勢・内藤昌豊隊
対決!米屋vs山内

こちらは武田勢の内藤昌豊隊。雨順斎全長殿、碧雲斎殿、そして最初は上杉軍女武者隊配属だった米屋繁霞殿が、欠員補充で転属してきております。前日に、武田勢への転属が認められたときの米屋殿の笑顔とはしゃぎようは印象的でありました。

早速、繁霞殿と一手交える拙者。武田菱の前立て(これがかっこよかった)と繁霞殿の気迫に押されて、またしてもカメラ目線な拙者(^_^;)

さて、こんな感じで上杉・武田両軍が続々と小学校の校庭に集結。お昼を過ぎてだいぶ気温が高くなってきましたが、リハーサルが行われます。

ここはこうして・・

ベテランの惟新殿演じる柿崎景家は、武田軍の軍師・山本勘介と戦うことになります。自分の一騎打ちのみならず、指揮下の郎党と対戦相手とじゅうぶん打ち合わせをされておりました。

我らの隊長・新発田治長様は最後までシナリオを確認して万全を期していらっしゃいました。配下の郎党衆はなごやかに談笑したり、合戦の練習をしたりと、各自で調整中でござる。

新発田隊郎党

(写真提供:松永弾正殿
柿崎景家様と

新発田隊の郎党8名勢ぞろい。これに写真を撮っている弾正殿と隊長を加えた10名が新発田勢全軍でござる。

惟新殿演じる柿崎景家様と背旗を直している途中のあゆみ殿と。
濃紺総威しの胴に面頬姿が勇ましゅうござる。
(写真提供:松永弾正殿

謙信公!

と、気がつけば新発田隊のすぐそばには謙信公がいらっしゃるではありませぬか!!
早速お願いして一枚撮ってもらった次第でござる。
拙者心の声
(武田軍など、一捻りにしてみせますぞ!!)

さて、リハーサルは各部隊の入場→出陣式(これは端緒だけ)→両軍の展開、と流れ、次は最初の見せ場「車懸かりの陣」であります。
今回の車懸かりの陣は、高梨政頼、本庄実乃、柿崎景家、新発田治長の4隊で方陣を敷き、交替で武田陣を攻撃するというもの。まず先鋒を務めるのは正面に立つ高梨隊、高梨隊が退いた後は本庄隊が代わりに正面に立って攻撃、本庄隊が退いたあとは柿崎隊、その次は新発田隊、という具合に間断なく武田軍を攻めたてるものなのでござる。
謙信公の下知に従って4隊が颯爽と方陣を整える・・はずだったのでありますが、新発田隊は少し出遅れたうえに自分達の位置に迷ってしまいました(^_^;)。陣ができたら攻撃開始!先鋒の高梨隊から次々と次の部隊が一撃を加えては退き、最後は我ら新発田隊の出番!迎撃に出てくる武田軍は山本勘介隊!
「新発田隊!かかれ〜!!」
拙者は抜き身の竹光を構えて昨日のリハーサルの相手を探します。ちょっと探しましたがすぐに発見!
いざ!参る!!

本庄隊vs内藤隊
写真は本庄隊と内藤隊の合戦模様
(だと思います)

この時、拙者と山本隊郎党の方でやった殺陣は、お互いが3連袈裟斬りの後に鍔迫り合い、あるいは互に飛びのいて間合いを取るという形のもの。基本的にはこのパターンの繰り返しなのですが、戦闘区域が密集しがちになるゆえ、不意の衝突を避けるために、戦う場所を選ばねばなりませぬ。新発田隊攻撃に続いていったん退いた3隊も攻撃に加わり、それに応じて武田勢も迎撃し、戦場は大乱戦の様相を呈します。この最中、拙者のさらし布がほどけて刀の鞘が外れるという事件が起こってしまいました(^_^;)。かくなるうえは・・!!

この戦いから戻ってきた後、隣の柿崎様から手招きを・・。何だろうと思って行ってみると・・
柿崎様
車懸かりは四角い陣形を作るのですが、さっきの新発田隊は隊列が蛇行していました。隊長のやーたろー殿は手一杯だから、兵馬殿が隊列の乱れを直して補佐してあげてください。
そうか!
拙者は自分の戦いのことしか頭にありませんでしたが、集団戦では全体の動きが重要。部隊長たるものはそのことも見なければなりませぬ。部隊長の仕事の重要さ(単にいい鎧が着れるだけなのではなく)と責任の重さを知ると同時に、他部隊の動きも見ていらっしゃる惟新殿に感服いたしました。さすがはベテランでござる。
こうしてリハーサルは続いたのですが、上杉軍の武将と一部の郎党は林泉寺の儀式に出なければなりません。幸いなことに、拙者も林泉寺の儀式に出ることになりました。合戦劇の練習はもちろん、行列パフォーマンスの練習がまだ出来ていないことに後ろ髪を引かれる思いがあったのですが、出発の時間が迫っているゆえ行かねばなりませぬ。拙者はパフォーマンスの計画書を仲間に手渡して、校庭をあとにしたのでありました。


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