謙信公祭

第79回 2004年8月15日前日リハーサル

「謙信公祭は、日本一過酷との評判ある時代祭です。」

参加者各位に配られた案内の紙には、このように記されております。
そして、この文章は過言ではありません。
真夏の暑い日に鎧兜で身を固め、約4kmもの武者行列を行い、その後さらに川中島合戦劇を行うというプログラムは、およそ8時間。一般の人にもこのたいへんさは想像がつくことでしょう。

「そんな好き好んで真夏にやらなくても・・・」

と言う友人もいます。普通に考えれば、その通りかもしれません。
しかし、高校野球の甲子園は真夏に開催されます。彼らの野球に対する真剣な姿勢は、多くの人々の感動を呼びます。
謙信公祭も、甲子園と共通の部分を持っている、と言えば、少しは主催者の気持ち、地元の人々の気持ちが伝わるでしょうか。
拙者自身にとっても、武者行列中に一部隊(個人ではなく)を使った即興パフォーマンスに初めて挑戦した、思い出深い祭りでもあります。

暑い熱い祭り

謙信公祭を一言で形容するなら、この言葉が一番ぴったりしていると、拙者は思います。
そういうわけで、今年も行ってきました「第79回謙信公祭」!!
今年は昨年発足された殺陣同好会「軒猿衆」のお頭から援軍依頼を受け、軒猿衆の一員として参加してきました。軒猿衆の役柄は柿崎隊。隊長の柿崎景家役は軒猿頭殿が務めます。
いざ!上越の地へ!!


8月15日。前日リハーサル。
この日の午前中は全国的に雨が降ったそうです。拙者も、電車の中で強く降る雨を見てきました。天気が心配でしたが、リハーサル会場に着いた頃には雨も上がり、空には青空が広がっていました。
全体のリハーサルは16時からでしたが、軒猿衆は路上パフォーマンスの練習もするために、ちょっと早めに15時に集合。お頭、やーたろー殿、河村殿、一樹殿、佐々殿らと練習を始めました。刀の握り方から始まり、基本的な動きとその練習方法、そして路上パフォーマンスの手、と、短いながらも楽しい練習時間でした。今まで抱えていた疑問もちょっと解決。お頭はじめ、教えていただいた軒猿衆の皆様、ありがとうございます。
m(^-^)m

その後、既に顔見知りの方々も続々と集合(多くのお祭り仲間が集まるのも、謙信公祭の特徴ですね)。久々の再会は嬉しいものですね
(^o^)
全体リハーサルでも、スタッフの方々から刀の取り扱いにて再度説明。もちろん、刀といっても竹光ではありますが、使い方次第では人を傷つけてしまいます。ある程度慣れた人同士でも、ちょこちょこ負傷しています(拙者含む)。
演技は本気でも、決して本気で斬りかからないでくださいね。
 今年の謙信公祭も、昨年に引き続き丸竹産業さんがスタッフとして運営にあたりました(今年で3年目とのこと)。基本的な台本は昨年と同様ですが、舞台上で行われる出陣式が観客から見えやすくなるように、両軍の整列場所を変えたりと、細かい変更が加えられておりました。ちょっと時間が足りないところもありましたが、とりあえず一通りの流れを確認して、前日リハーサルは終了です。

<リハーサルの覚書>
・総懸かりで、武田軍・山本隊 真下昌景殿と遭遇、交戦。抱えられて放り投げられる。
(細かい話。。真下殿は「バックドロップ」と言っていたが、拙者は相撲の「つり出し」だったような気がする。)
・特徴的な装いが評判の武田軍・内藤隊 上杉播磨守定景殿を集団で攻撃。斬られてもらう。
(拙者らに合わせてもらって、まことにありがとうございます m(_ _)m)
・自前甲冑で参加の武田軍・内藤隊 ほにゃぢ殿は小具足姿で参加。意気込みを感じました。

   さて、柿崎隊。昨年と同様に、武田軍・山本勘助隊と交戦し、舞台では柿崎景家山本勘助の一騎打ちが行われます。今年の山本勘助役を務めるのは三浦介星友殿。景家役のお頭が中心になって、殺陣の手が決められていきました。今回の舞台殺陣には、「景家とその部下2人」vs「勘助とその部下2人」が参加。3vs3ですね。景家の部下は拙者と一樹殿、勘助の部下の一人は真下殿が務めることに。拙者の相手は、真下殿。真下殿と一緒に殺陣をするのも久しぶりでしたね。
景家と勘助の戦いは合戦劇の重要な見せ場。全体のリハーサルが終わったあとも、練習は続行。参加者の皆様、暑い中お疲れ様でした。
さて、リハーサルが終わった後、松永弾正殿、米谷繁霞殿達は前夜祭へGO!!
拙者も参加したいところだったのですが、今回はやーたろー殿の家「サムランド」にお世話になるゆえ、やーたろー殿と一緒に「サムランド」へ向かいました。
「サムランド」の感想は・・・・

凄い!!

ですね(^o^)


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