紀州鉄砲まつり

第6回 2005年3月27日

ナレーター
 戦国時代、日本一の鉄砲生産量を誇っていたのは和歌山の紀ノ川流域でした。そして、そこに雑賀鉄砲隊が誕生したのです。雑賀鉄砲隊の活躍と言えば、織田信長を苦しめた石山本願寺の戦いがもっとも有名です。当時は、どういう時代だったのでしょうか?
 時は、天正4年(1576年)今から430年ほど前のことでした。本願寺は毛利氏に庇護された足利幕府最後の将軍の足利義昭に加担し、信長に対し挙兵いたしました。信長は各武将に本願寺を包囲させ攻撃しましたが、逆に有力武将の原田直政など、多数の戦死者を出す敗北を喫しました。京都にいた信長は、敗戦を聞くと自ら出馬し、足軽にまじって戦いましたが、雑賀鉄砲隊は、信長に鉄砲キズをおわす大奮闘をいたしました。
 このときの模様を、紀州雑賀鉄砲衆ほか有志のみなさんで再現していただきます。
 それでは、みなさま、いよいよ石山合戦のはじまりでございます。


ステージを石山本願寺と見立てて、ステージのすぐ前に雑賀衆が、それに向かい合って織田軍が整列します。
織田信長
「今から、石山本願寺を攻撃する!!」
・・・・・・
・・・・(返事がない)・・・

拙者心の声(いかん、緊張のあまり返事を忘れている(汗))
合戦劇初心者がほとんどだったので、こういうこともあります(^_^;)
この点は、経験豊富な織田信長公にフォローしていただきました。
織田信長
「返事がない。やり直すぞ・・・
石山本願寺を攻撃する!!」


織田軍「オォ〜!!」

雑賀孫市
「宮本殿!槍組を率いて織田軍を防ぐのじゃ。
その間に急ぎ鉄砲衆の準備をいたすでのぉ〜」

戦いは、織田軍7名 vs 雑賀衆5名による槍合戦から始まりました。
この戦いは、数に勝る織田軍が優勢となり、小勢の雑賀衆はどんどん押されていきます。

雑賀孫市
「いかん・・。、大軍に押されておるわ。
伊賀守、行ってあやつらを追い返せ!!」

佐竹伊賀守
「はは!たやすく蹴散らしてみせましょう!!」


佐竹伊賀守、梅戸実秀、的場源四郎の3名の奮戦により、織田軍はやむを得ず撤退。雑賀衆は劣勢を挽回することに成功するのでした。一方、家臣たちの不甲斐なさを目の当たりにした信長は・・
織田信長
「えぇぃ!!小勢相手に何を手間取っておる!!
ワシが直々に相手をしてやるわ!!!!」


雑賀孫市
「ほぅ、奴は自ら剣を持ったか・・。
鉄砲隊、急げ!急ぐのじゃ!!」

尾張のうつけめ!この場で討ち取ってくれん!!
と、雑賀衆の3名が襲い掛かります。しかし、1対3という不利な状況にもかかわらず、信長は互角以上の戦いを見せます。ばかりか、撃剣のすえに佐竹伊賀守は負傷。雑賀衆の3名は退けられます。

そしてその時・・・

ズガァ〜〜ン!!

雑賀鉄砲衆の岡吉正が放った30匁砲が、信長に命中!!
さすがの信長もこれにはたまらず、足を抱えて倒れこみます。織田家の家臣たちは、信長を抱えて退却を余儀なくされたのでした。

雑賀孫市
「でかした吉正!!
皆の者、織田軍を追い返したぞ!!」

古い文献によると、織田軍を追い返した雑賀孫市は、飛び上がって喜んだそうです。
なので、雑賀衆の勝ち鬨の最後の「オォ〜!!」は、全員ジャンプして上げました(^o^)

ナレーター
 織田信長の強力な軍勢をもってしても、雑賀衆の守る本願寺を攻め落とすのは容易でなく、それからなんと5年もかかり、実に都合11年間も苦しめられたのでした。信長はこの戦で鉄砲の優秀さを認識し、のちに鉄砲の三段撃ちで武田の騎馬隊を打ち破るのです。
 それでは、紀州雑賀鉄砲衆と黒潮躍虎太鼓による迫力ある演武をお楽しみください。

 紀州雑賀鉄砲衆の演武は、太鼓と共演するのが特徴的でした。拙者も、これまでいくつかのお祭りで鉄砲隊の演武を見てきましたが、太鼓と協同して演武を行うのは初めて見ました。勇壮な太鼓のリズムと音に合わせて、火縄銃の轟音が響き渡る演武はかなりの迫力でありました。
 こうして、紀州雑賀鉄砲衆の演武は幕を閉じ、いよいよ表彰式にうつります。

※ このページに掲載されている写真は、全て雑賀孫八殿にいただきました。


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