草津宿場祭り 草津時代行列

江戸時代の草津は、東海道と中山道の分岐点の宿場町として栄えていたそうです。草津宿本陣(史跡探検記をご覧ください)など、当時の宿場町の名残をあちこちに残しております。
拙者が説明会で聞いたところによると、当初のお祭りは地元の小さなお祭りで、時代行列も子供のみの簡単なものだったそうです。やがて「見せる祭り」にしよう、という方針で年々規模が大きくなり、今では100人規模の大名行列が出るようになりました。今年(2004年)は、草津市制50周年であり、NHK大河ドラマで新選組が放映されていることもあり、草津宿本陣に土方ら新選組の面々が宿泊した記録がある、ということもあり・・・などなどの理由で新選組が行列に加わることになったそうです。
全国の歴史祭りを渡り歩くお祭り情報屋・松永弾正殿からこの情報を聞き、近場と言う事もあって参加するはこびとなりました。


ちなみに、今回の拙者の役柄は「新選組」。特に誰々という名前があるわけではありません。
今回、新選組の衣装担当は東映太秦映画村。拙者は初めてカツラというものをかぶりました。この時はまだなんともなかったのですが、やがてこのカツラに苦労することに・・・
この写真では、右の人が拙者です。一緒に写ってもらった方も、拙者と同様に一般公募の方ですが、今大河ドラマで放映されている「新選組!」に登場する山南敬助によく似ている気がしました。一部の方々は、拙者が藤堂平助に似ていると主張されておりますが(^_^;)
それどころではありません。彼はホントによく似ておりました!

(写真撮影:参加者の身内の方)

そして、一般公募で集まった新選組総勢8名!
右端で「誠」の旗を持っているのが我らが局長・近藤勇さんです。その横でしゃがんでいるのが拙者。拙者の隣は女性の方で、沖田総司役でした。女性が沖田役、というのはわりと多い(?)みたいですが、この方はかなり決まっております。見物客からも
「きれ〜〜い!!」
「カッコイイ〜〜!!」
という具合にかなりの好評でありました。

(写真撮影:参加者の身内の方)

さて、時間も迫ってきたゆえ、そろそろ移動を。
今年の時代行列は、先頭に子供奴約50名。地元子供会の小学生たちが務めます。それに拙者ら新選組が続き、その後ろにおよそ100名の大名行列が連なる、という編成です。全員の準備が整うまで、新選組は子供奴と写真を撮ったりして遊んでおりました。
一方、特設ステージでは東映の方々による殺陣が披露されました。新選組の土方と永倉が浪士を相手に戦う、という設定です。拙者もこれを見ておりましたが、さすがに動きが素早くてかっこよかったですね(^o^)。
この劇が終わったあと、いよいよ行列出発です。この日は天気もよく、暑いぐらいの気温でしたが、真下昌景殿と河村真就殿に応援に来ていただきました。嬉しかったです、ありがとうございます
m(^_^)m

時代行列の先頭を務めるのは子供会の「子供奴」。大名行列と奴さんはコンビみたいなものですね。本来の奴さんは、毛槍を持ったりするのですが、子供なので手ぶらです。

そして、その後ろに新選組。なんと、近藤局長自ら「誠」の旗を持って先頭を進みます。東映の土方さん、永倉さんも行列に加わって、全部で10人になりました。

新選組の後ろが、主役の大名行列です。

大名行列の主役の殿様。なかなか威厳のある方でした。

「立ち葵」の家紋が入った駕籠です。中に人が入っていたのかは不明です。

弓持ち、槍持ちの後ろには腰元衆が続いてきました。

そして、腰元衆の中にはお姫様!
拙者はこの姫様を勝手に
「草津姫」と名づけました。
後で写真を撮ってもらわねば(^o^)

(上写真提供:一門衆撮影隊

時代行列は、古い町並みが残っている旧街道から商店街へと、ゆっくりゆっくり進みます。道幅は狭いので、観客のみなさんとの距離はたいへん近かったです。特に、商店街では両側に大勢の人が詰め掛けており、かなりの賑わいを見せておりました。その分、行列進行に携わるスタッフの方は進路の確保に大忙しでした。
一方その頃、拙者は一人苦戦を続けていました。
頭が痛い・・・
そう、カツラが原因のようです。ちょうど、旧街道に入った辺りから痛みが強くなり、商店街に入った時は、時々意識がとんでおりました・・・。この時、たいへん人相の悪い新選組を見かけていたら、それはきっと拙者です(^_^;)。東映の土方さんと永倉さんに鉢巻を緩めてもらったおかげで、少し痛みは軽くなったのですが、まだまだ通常の状態には程遠い有様でした。

腕組みしてても、何も考えてません。無愛想な顔しててごめんなさい m(_ _)m

(写真提供:一門衆撮影隊

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