佐々成政戦国時代祭り

第33回 2003年7月20日開催

戦国絵巻編

観客の視線が集まる中、一行は会場に入って整列。騎乗していた成政公は舞台前で馬を降り、そのまま早百合姫を伴って舞台上へ。足軽らは左右にまとまって並び、舞台前を武将が横一列に並んで固めます。正面の矢倉では照明が舞台を照らし、その下にはテレビ局のカメラ、そして観客席にはお客さんがつめかけておりました。
まずは成政公のインタビュー、そして勝ち鬨を挙げて士気を高めてから、全員一時退場。
それから、幼稚園児達によるかわいらしいお神輿、前座の舞踊があってから、いよいよ戦国絵巻の始まりでござる!

第一幕 長篠の戦い

:語りや台詞などは要約です。
長篠の戦い始まり

勇壮な薬師太鼓に導かれ、まずは槍隊による槍合戦から始まります。
語り
今をさかのぼること400有余年。成政は織田信長に仕え、桶狭間の戦いなど幾多の修羅場を乗り越えていくのである。
天正3年5月21日。三河・設楽原の地で、信長・家康連合軍と、当時最強といわれた武田勝頼率いる武田軍が衝突した。
世に言う、『長篠の戦い』である。」

合戦前夜

(写真提供:肥前守左馬之助殿)

語り
信長勢は3000人の鉄砲隊を組織し、その隊長に成政を任命。設楽原に柵を築き、武田騎馬軍団と対峙していた。
武田本陣では軍議が終わり、馬場美濃守があとから来る山県を待っていた。」
馬場
山県殿。これまで昵懇にいたしておったが、そろそろお別れで御座るのう
山県
いかにも・・。時の勢いでやむを得ないことに存ずる
語り
武田の武将達は、この戦の結末がわかっているように、お互いに挨拶を交わしていた。

照明に照らされる馬場・山県・内藤・小幡の4名。手前に写っているのは成政の鉄砲隊。

撃たれる武田勢

合戦が始まると成政鉄砲隊が火を吹きます。
武田勢一番手は赤備えの山県隊。果敢に向かっていきますが、鉄砲の斉射を受けて壊滅。続く二番手・内藤隊、三番手・黒備えの小幡隊も、山県隊と同じ運命を辿るのでありました・・。

(写真提供:肥前守左馬之助殿)

我こそ、馬場美濃守信房なり〜!

敗戦を悟った馬場信房は、使い番に自分が殿(しんがり)を務めることを伝え、敵を求めて名乗りを上げます。
馬場
我こそは武田家にその人ありと知られた馬場美濃守信房である。手柄を立てたい者あらばお相手申す!
これを聞いて一人の武者が槍を構えて登場。

壇九郎左衛門直政が郎党、岡三郎左衛門が相手をいたす!
ちなみに、馬場信房役の方が佐々成政役も掛持ちなのでござる。着替えて次の第二・四・五幕に佐々成政役として登場されました。

(写真提供:やーたろー殿)

馬場対岡

屍が横たわる戦場で二人の武者が一騎打ち。第一幕の見せ場であります。
やがて高齢の馬場信房は力尽き、岡三郎左衛門は彼を斬って高々と手柄を叫ぶのでありました。

語り
かかれば退き、退けば引きつけ御下知のごとく、過半人数うたれ候

(写真提供:真下昌景殿 撮影:拙者)

第ニ幕 成政と佐々堤

領民を指揮する成政

語り
時は進み天正8年。上杉勢と戦っている富山城主:神保長住の援護を命じられた成政は、富山の地にたどり着いた。しかし、そこで見た光景は悲惨なものであった。
城下一帯は泥の海と化し、荒れ狂う泥流は地を這う龍のごとく様相を見せていたのである。


成政は自らの危険を顧みず、あきらめて逃げようとする領民を指揮して治水工事に力を注ぎます。ここで、観客へのサービスタイム。大山町特産の「みょうが寿司」を配るのであります。拙者もほしかった・・(^_^;)

(写真提供:肥前守左馬之助殿)

第三幕 魚津城の攻防戦

さて、続きますのは合戦絵巻。薬師太鼓が打ち鳴らされ、舞台前にて上杉軍と織田軍による合戦が繰り広げられます。拙者と真下殿はここで、練習していた殺陣の本番でござる!
信長(?)対上杉兵

(写真提供:肥前守左馬之助殿)

語り
天正10年4月20日。柴田勝家・前田利家・佐々成政らは越後の上杉勢が死守している魚津城を激しく攻め立てていた。
今回の殺陣は約1分ほどだったのでありますが、やってみると結構長いのであります。連続袈裟斬りのパターンに、すれ違い、鍔迫り合いを組み合わせ、さらに真下殿の案で、拙者が真下殿をつかんで観客席に放り投げる、という新技も実験。左写真は最初のすれ違いの後の様子でござる。
ところが、ここでハプニングが・・。初めて着用した南蛮胴。胴の上に首周りを守る部品を着けるのですが、殺陣の後半になってこれがポロリと外れて落ちてしまったのでござる(汗)。ふと見ると、隣でも誰かの陣笠が転がっておりました。もうそろそろ終わりの時間だったこと、誰かが誤って踏みつけてしまわないようにと思って、落ちた部品を拾って片手で真下殿に斬りかかってしまいました(^_^;)。

さて、魚津城の攻防戦はまだまだ続きますが最初の合戦はこれにて終了。拙者らは舞台裏へ引き上げます。そして、拙者は次の次の第五幕「回想本能寺の変」のために白装束に着替えるのでござる。と、ここでまたしてもハプニングが・・。
連絡がしっかり伝わっていなかったのか、着付け係りの方はかなり焦っておられる模様。
拙者心の声
(時間は十分あるのに何ゆえそんなに焦っているのでござろう?)
余裕たっぷりの拙者とは対照的に、かなり焦っている着付け係の方は大急ぎで鎧を外しにかかりました。と・こ・ろ・が、拙者の腰帯には貴重品を入れているいつもの巾着が吊ってあるのであります。盗難防止など、見えないところで大活躍している巾着ですが、今回はこれが大きな障害になってしまいました。巾着の存在を知らない係りの人は帯を解こうとしますが、巾着が邪魔してすぐに解けません。

拙者「時間に余裕は十分ありますから、そんなに焦らなくても大丈夫です。今はずしますから・・」
着付け係りの方1「何だこれ!?変なつけ方するから取れないじゃないか!!」
着付け係りの方2「あんた何言ってんの!?すぐ出番なのよ!」
拙者「出番は次の次です・・」

力づくで帯を解こうとするため、かえって巾着の紐は締まっていくばかり。結局、帯を中途半端に解いた状態で南蛮胴を脱ぎ、緑の鎧下着も脱いで白装束に着替えたのでありました。ちなみに、去年の信長は髷のカツラをかぶったのですが、今年は予算の都合でカツラはなし。代わりに白い鉢巻を結びました。
着替えに行く前に拙者が巾着を外しておけばよかったのでありますな。ご迷惑かけて申し訳ないですm(_ _)m
白装束に着替えて一息ついた拙者は、第三幕の後半から第四幕をのんびり見ようと思ったのですが、暗闇に白装束は目立ちすぎであります(^_^;)。幕の後ろから舞台を見ようとすると、一部の観客から拙者が見えてしまいそうだったゆえ、姿が見えない(舞台も見えない)裏の方で控えておりました。
第三幕では、戦火に逃げ惑う領民や、敗戦を悟って堀に身投げをする腰元、自害を遂げる武者(真下殿出演)など、戦がもたらす悲惨な光景も描きつつ、魚津城は陥落。そして、光秀謀反の知らせが入り状勢は急変。織田勢は一夜にして魚津から退去するのでありました。

第四幕 成政と早百合姫

第四幕

さて、魚津城の激戦の次は一変して弾正姫演じる早百合姫の登場であります。容赦なく吹き付ける戦乱の嵐の中で生き続ける成政にとって、自分を解放できるところ、それが早百合姫の存在だったのであります。
早百合姫は成政の子を身籠ったことを告げ、それを祝うように松香会の舞踊が披露されました。

(写真提供:真下昌景殿)

第五幕 回想本能寺の変

さて、戦国絵巻もいよいよ終幕。信長としての拙者の、待ちくたびれている光秀としての左馬之助殿の、明智勢の一員となった真下殿・やーたろー殿の出番であります。
光秀の演説

(写真提供:やーたろー殿)

語り
信長の覇業は順風満帆。天下統一は目前であった。しかし、天才肌の信長、秀才肌の光秀。二人の感情のもつれによる溝は次第に深くなっていき、秀吉の備中・高松城攻め援護が引き金となり、刻々と本能寺の変へと時を刻んでゆくのだった。

金ぴかの金陀美具足をまとった左馬之助殿演じる明智光秀が暗闇によく映えます。

光秀
敵は本能寺にあり!
第一陣は下知あり次第奥の院に乱入のこと。
第二陣は続いて中門を固め。
第三陣は表門と周囲に鉄壁の見張りをなすこと。
かかれ〜!!

大河ドラマ「利家とまつ」の影響か、この光秀の台詞は裏返っていたのが印象的でござった。

たわけ!!

(写真提供:肥前守左馬之助殿)

信長
蘭丸、外の様子がおかしい故、見てまいれ
蘭丸
ははー!・・・・
「上様、光秀の謀反にございまする!

信長
禿か・・。禿ではどうにもならん。
蘭丸
上様、蘭丸は中門にて敵と戦いまする。奥の書院にて最期の用意をしていただきとうございます。
安田
光秀が家臣、安田作兵衛見参!右大将の御しるし頂戴に参上した!
信長
たわけ!これでもくらえ!!

蘭丸、立ち塞がる

(写真提供:真下昌景殿)
蘭丸対安田作兵衛

(写真提供:真下昌景殿)

蘭丸
上様、危ない!
信長
おお!蘭丸か!
蘭丸
ここより敵は一歩も近づけませぬ。上様・・。今生のお別れでございまする
蘭丸が時間を稼いでいる間に、信長は奥へ後退。

安田
右大将!帰させ給え〜!
蘭丸
動くな!この先は蘭丸が相手いたす!

蘭丸と安田作兵衛の一騎打ちの勝敗は、安田の槍が蘭丸を貫いたことで決しました。
しかし、蘭丸の奮戦の間に既に信長は燃え盛る本能寺の奥へと消えていたのでありました。こうして、本能寺の場面は幕を閉じます。

語り
こうして、信長は奥の書院にて自らの手で49年の生涯を閉じた。天正10年6月2日卯の刻のこととされている。
やがて、秀吉の軍門に下った成政は肥後の国へ赴くことになり。この国の検地前の差出を原因として勃発した肥後一揆の責任を負わされて、秀吉に切腹を言い渡されるのである。
『このごろの 厄妄想入れ置きし 鉄鉢袋 今破るなり』


成政の最期を看取るかのように、舞台に座った武将達、そしてその前に片膝立ちで並んだ足軽たち。その中央に成政が進み出ます。

語り
成政は低い声で、亡き主君信長の好んだ謡曲「敦盛」の一節を口ずさんだ。
『人間五十年 化転のうちをくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり 一度 生をうけ 滅せぬ者のあるべきや』


そして成政は自害して果てるのでありました。それと同時に、舞台の後ろでは200発近くの打ち上げ花火が次々と打ち上げられ最後を飾ったのでござった。

最後に整列(写真提供:松永弾正殿)

こうして、戦国絵巻も終了。最後に出演者全員が舞台前に並び、観客の方々から拍手をいただいて幕を閉じたのでありました。

抜き身の太刀(写真提供:真下昌景殿)

ふ〜〜、今回は練習も含めて長いお祭りでありました。不安だった信長役も、なんとかこなせたようでほっと一息であります。

<謝辞>
今回共に参加した真下昌景殿、やーたろー殿、松永弾正殿、肥前守左馬之助殿、練習から本番までいろいろお世話になりました。ありがとうございます。
また、今回出演された方々も2日間に渡る練習と本番、まことにお疲れ様でした。
そして、毎年参加されている「佐々成政」殿にもたいへんお世話になりました。
最期に今回の祭りを企画運営された、観光おおやま佐々成政戦国時代祭り実行委員会様はじめ、関連団体の方々に深く御礼申し上げまする。


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