小田原北條五代祭り

第39回 2003年開催

前編

小田原北條五代祭りは、毎年5月3日の祝日に行われている大規模な武者行列であります。テーマはもちろん戦国大名・北條氏(一般には「北条」の字をあてますが、小田原ではたいがい「北條」と表記されている模様。このページでは「北條」で統一します。)!北條氏は下克上の先駆者と言われた初代・北條早雲を先頭に、二代・氏綱、三代・氏康、四代・氏政、五代・氏直と、約100年間にもわたって関東地方の有力戦国大名でありました。
去年から関東行きを計画していた拙者は、ついでに史跡巡り&お祭り参加も含めて時期を考えたところ、ゴールデンウィークの連休中ということになり、それならついでに小田原にも行こう!ということで、一般公募に応募して参加してまいりました。(ちなみに、参加費は3000円。衣装代の一部負担だそうです。)
事前に送られてきた案内によると、今回の拙者の役柄は「四代・北條氏政隊 八王子城主・北條氏照麾下の槍衆」とのこと。北條氏照は四代・氏政の弟。文武に優れ、兄・氏政のよき相談役であったと言われております。歴史祭り参加5回目となる今回も、楽しみにして行ってきました。今回は晴れますように・・!!(これまでの雨天率、50%・・)


北條早雲像

午前6:10頃
小田原駅到着

は・早過ぎでござる・・・。。集合時間は9:40。あと3時間半もあるではないか!
先月の石和に続き、今回も夜行バスでやってきた拙者は、またしても到着が早すぎたのでありました。しかも、今回はほとんどバスで寝れなかった・・(T_T)。どっかで一眠りしたいところだったのでありますが、とりあえずは駅前の北條早雲公の銅像へ。この銅像は火牛の計で小田原城を攻略するという「北条記」の部分を描いたもので、市内外の個人・団体から寄付金を集めて平成2年(1990年)に建立されたとのこと。わりと新しい銅像でありました。
拙者心の声
(先月は信玄公像の前で敵に味方すると誓った拙者でありますが、今回は戦国北條家の威信のためにがんばります)

その後、3時間半もの時間を潰すために小田原城内を歩き回り、ついでに小田原の海岸に行って海を眺めておりました。

真下殿拙者

9時半頃、集合場所のスポーツ会館で拙者と同じく一般参加で応募した真下昌景殿と再会。真下殿は、初陣の賤ケ岳以来ずっと、拙者の参加レポートに登場している強者であります(赤穂の時は見物&撮影に来ていただきました)。
拙者も真下殿も役柄は同じ。「槍衆」といういと、賤ケ岳や越前でやった槍武者を想像していたのですが、足軽でありました(^_^;)。衣装の担当は石和と同じ「高津装飾」さんで、石和で見慣れた赤や青の足軽の人、副将の鎧の人もおりました。色は部隊ごとに分けられているようで、第四代・北條氏政隊の系列はご覧の通りの緑色でありました。
拙者らが着付けを頼もうとすると、係りの人は他の方の着付けをしながら「着方わかりますか?」と、額に汗をにじませて尋ねました。
「なんとなくはわかりますけど・・」と答えると、「ちょっとしたら見に行くので、わかるとこまで着ちゃってください。」とのこと。人手が足りないのか、かなりお忙しいようでした。幸い、自前鎧持ちの真下殿がいるゆえ、拙者は真下殿の真似をしながら着物と袴をはいたのですが・・・

一番最初の着物と袴の着方が、一番わからないのであります(汗)。祭りごとにちょっとずつ違うゆえ、なかなか覚えられませぬ。
(石和の時はどうだったかな・・・?)
なんとなくわかるようで、わからない。真下殿も我流でやっているとのことゆえ、拙者も剣道のときと同じように着装!そして案の定、係りの人に「ちょっと違います。」と言われて、着物と袴だけ着せてもらいました。その後は石和で着た足軽鎧と同じゆえ、拙者と真下殿がお互いを手伝って着付け完了となりました。よし!此度は半分以上、自分達でできましたぞ!

象と撮影

早めに着付けが終わった拙者ら。天気もいいゆえ、小田原城の本丸で弁当食べましょう、ということになり、スタッフの方に問い合わせてみたところ「十分時間ありますし、いいですよ〜。でも、集合時間までには戻ってきてくださいね。」とのこと。こうして、二人の緑足軽は弁当片手に小田原城本丸へ向かったのでありました。意外なことに、途中で写真撮影を頼まれました。二人ともただの足軽なのに・・・。せっかくの足軽だったゆえ、男の子に刀を持たせてあげて、拙者らが斬られるという構図で撮った次第。
小田原城の本丸には、どういうわけか動物園があるのでござる。本当に本丸の中に動物園が混じっているという状態で、なんとも不思議な光景でありました。左に写っている象は、インド象の「ウメコ」ちゃんだそうです。
左の女の子(この人何だろう・・・?)

手作り甲冑 うさぎ塾

本丸には手作り甲冑隊「うさぎ塾」の方も多数いらっしゃいました。自分達の作品を披露するだけでなく、観光客への兜着用サービスを行っておりました。彼らが着ている甲冑、たいへん鮮やかですがもちろん手作りであります。なんでも、ボール紙を使って少しずつ少しずつ丁寧に作るそうです。特殊な技術などは不要で、小学生でも立派な鎧兜が作れるそうです。ただし、制作期間は半年ほど、凝ったつくりの大鎧になると2年もかかるとのこと。
拙者も兜をかぶらせてもらいました。材料が紙ゆえ、とても軽かったです。いや、お見事でござるm(_ _)m!
ちなみに他にも、30分間200円で(子供は100円)鎧武者・お姫様になれるというサービスもやっており、子供武者やお姫様もいっぱいおりました。鎧のランク的には、足軽の拙者らが一番下でござった・・・(^_^;)。

続々と集合
今日は暑いのぉ〜

さて、そろそろ集合時間ゆえ、スポーツ会館に戻りましょうぞ。入り口付近は左上写真のように武者と旗でいっぱいになってきました。それにしても今日は暑い!今年の連休は日ノ本全国的に好天で、初夏の陽気でありました。こういう時、扇子なんかがあるとたいへん役立ちまする。右上写真は、初陣だった「賤ケ岳天下とりまつり」でもらった白扇で涼んでいるところでござる。

たまちゃん?

中にはこんな方も・・。顔を白く塗ってサングラス。兜のかわりに一時期話題を集めたアザラシ「たまちゃん」(?)のぬいぐるみを頭に巻きつけていらっしゃいました。う〜〜ん、これはありなんだろうか・・(^_^;)?
正午の頃合。準備が整い、一行は小田原城の銅門(あかがねもん)広場に集合。二の丸広場で行われる出陣式に臨むため、続々と出発していきました。

黒装束忍者
赤装束忍者

こちらは行列の先頭を進む、ボーイスカウト、ガールスカウトの風魔忍者隊であります。「かわいい〜☆」と評判でありました(^o^)。
(写真提供:真下昌景殿)

三献の儀

(写真提供:真下昌景殿)
拙者自身はこの光景を見れませんでした・・・(残念)

北條太鼓が勇ましく鳴り響く中、行列は大勢の観客がひしめく二の丸広場に入陣しまする。城主と姫、旗持ちの方はステージ上に残り、その他の武者組はステージの両脇に整列して出陣式に臨みました。拙者が並んだのは、ステージからはかなり遠いところ。旗と人でステージ上の様子はさっぱりわかりませんでした(^_^;)。
北條早雲公役を務める小田原市長の挨拶が終わったのち、出陣の儀式・三献の儀が行われ(左写真)ます。
と、こんなかんじで式典が進んだのでありますが、ほとんど何も見えないうえに暑いという有様で、この辺の儀式の順番は記憶があいまいで、もしかしたらちと違うかもしれませぬ。申し訳ないm(_ _)m。それからステージ前で殺陣が行われたのですが、やはりこれも見えず。当然写真も撮れず(無念)。殺陣の後に伝令の騎馬武者が登場したのでありますが、出てきた位置が拙者が並んでいたところのすぐそばでありました。が、完全に不意を突かれたためにカメラを出す暇もなく、シャッターチャンスを逃してしまったのでありました・・・。。無念。

鉄砲斉射!(写真提供:真下昌景殿)
伝令の騎馬武者によると、敵軍がすぐ近くまで来ているとのこと。
北條五代軍はこれを迎え撃つために、全軍出陣!花火と鉄砲の斉射で景気をつけて、いざ出陣!


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