鷺森祭り

第1回 2005年3月26日

 「ゆるりの集い」に雑賀孫八さんという方がいらっしゃいます。間もなく御歳60歳を迎えられ・・・
というのは嘘です。 孫八さん、ごめんなさいm(_ _)m
 さて、冗談はほどほどにして、真面目に書きます。孫八さんは、町おこしの手段として、地元の歴史を活かした武者行列の開催を考えていらっしゃったそうです。
「そういうことなら、ゆるりとして全面的に孫八さんをバックアップしていこう!」
という話になり、地元企業・商店街の協力を取り付けて、今回初めて「鷺森祭り」が開催されました。
 南海電鉄和歌山市駅の付近は、戦国時代は精強な鉄砲隊を抱えていたことで有名な「雑賀衆(さいかしゅう)」の根拠地だったそうです。また、長期に及んだ織田信長と本願寺の戦いが終結したのち、本願寺顕如は総本山であった石山を下り、鷺森別院に一時居を移しました。そういう意味では、鷺森が一時的に本願寺の総本山となっていたわけです。
 というわけで、今回は第一回のお祭り。さらに、拙者も微力ながら企画・運営に参画させていただきました。物事は最初が肝心。どうか、成功に終わりますように・・・・!!!


突如現れた鎧武者の集団に、地元の方々も驚いていらっしゃったようです。大阪城甲冑教室で作成された鎧が多かったので、ちょっとした赤備え部隊ができていましたね。
さて、まずは、主催者である孫八さんから、祭りの目的と諸注意が簡単に説明されました。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

お揃いの手作り(?)甲冑に身をつつんだ紀州雑賀鉄砲隊の皆様。
行列の最後に、火縄銃の演武を披露していただきました。

(写真提供:ほにゃぢ殿)

総勢およそ30名の武者行列。
まずは、南海電鉄和歌山市駅前の広場に集まり、出陣式が行われました。
代表の方々から挨拶があり、孫八さんから、雑賀衆の根拠地であった歴史を掘り起こし、この地をさらに発展させたい、という内容の祈願文が読み上げられました。
そして、法螺貝の合図と共に武者行列が出発しました。

(写真提供:雑賀孫八殿)

 行列は商店街をぐるぐると回りながら進んで行きました。孫八さんは、あちこちで商店街の方々にご挨拶されていらっしゃいました。それもそのはず。武者行列一つ開くにしても、各方面からの支援・協力が必要なんですよね。
 さて、行列は途中で小休止をはさんでから、終点の鷺森別院に向かいました。こちらでは、武者行列を待ち構えるお客さんでいっぱいでした。

孫八殿の指揮のもと、雑賀鉄砲隊による火縄銃の演武が行われました。ちなみにこの時、拙者は安全区域確保のために人員整理をしておりました。
人員整理をする鎧武者が珍しいのか、黄色と黒のトラロープを持って立っている姿を撮る方が多かったんですよ。ちょっと微妙なかんじでした(^_^;)

(写真撮影:観客の方  写真提供:雑賀孫八殿)

その後は、武者組もお昼休憩&自由散策となりました。
本願寺顕如を迎えた時の、歓迎メニューを参考にして作った「孫市鍋」をいただいたり、左写真のようにお茶席でお茶をいただいたり、屋台の方にビールをおごってもらったりと、のんびりのびのび過ごすことができました(^o^)

(写真提供:ほにゃぢ殿)

最後は参加者全員で記念撮影です。
その後、残念ながら拙者は都合で行けませんでしたが、ほとんどの方は和歌山城見学に行かれたそうです。

(写真提供:雑賀孫八殿)

 と、以上で、第一回鷺森別院祭りは無事に終了しました。
そして嬉しいことに、この日の夕方、和歌山テレビで鷺森祭りのニュースが放映されました(^o^)
次回が楽しみです!
 鷺森祭りはこれにて終了ですが、明日は引き続いて紀州鉄砲まつりが開催されるんですね。ある意味では、明日が正念場、ともいえるかもしれません。そういうわけで、引き続き「紀州鉄砲まつり」のレポートも合わせてご覧くだされ〜
<参加の皆様>
・ゆるり甲冑隊
辰之進殿、吉之介殿、徳子殿、貴千代殿、貴千代ご両親殿、因幡真親殿、碓氷雪殿、きゆう殿
・応援参加
ほにゃぢご夫妻、松永弾正殿
お疲れ様でした。次回もよろしくお願いいたします m(_ _)m

そして、主催者である雑賀孫八様はじめ、様々な面でサポートにあたった原一鉄殿、足軽殿、まことにお疲れ様でした!!


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