最近、JRが旅行プランの一つとして関門海峡をよく挙げています。関門海峡は本州と九州を隔てている海峡ですが、本当に狭いです。関門橋の辺りまで来ると、曇りの日でも対岸がはっきりと見えるんですね。一度でも見たことがある人には「近いな」という共通認識があると思います。この狭い海峡では、源平最後の戦いである壇ノ浦の戦いをはじめ、幕末では下関事件、第二次長州征伐戦、近代では日清戦争の講和会議が開かれるなど、歴史の大きく転換する出来事が複数起こりました。しものせき海峡まつりでは、源平武者を漁船に乗せて壇ノ浦の戦いを演じる「源平船合戦」がイベントの一つとして行われており、参加者は一般からも広く募集されています。
下関は前々から行きたいとは思っていたのですが、ちょっと遠いのでなかなか機会を作れませんでした。しかし今回のお祭りには、これまでに知り合った「お祭り仲間」の多くが参加するということにも押されて(特に○○殿と◇◇殿には猛烈に説得され・・)、拙者も参加することになりました。
今回で15回目になるお祭り参加ですが、源平時代のお祭りは初めてでした。さて、此度は何が待ち受けているのでしょうか・・??
そうそう、此度の拙者の役は |
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上の鎧を着るとこんな感じになります。 |
さて、着付けが終わったところで、拙者らは合戦劇で演じる殺陣の練習を始めました。昨年までは「源平武者」達が漁船に乗り込み、船上パレードを行っていたのですが、安全性との兼ね合いもあって(海上保安庁は救命胴衣の着用を望むけれども、鎧の上から救命胴衣を着るのは視覚的な演出効果を著しく損なってしまう)、今年は一部の役だけが船に乗り込み、その他の武者たちは陸上で合戦劇を行うことになったのです。その点は、昨年も参加された惟新殿が主催者側と折衝して、拙者らが前景となって殺陣を演じ、背景としてその他の武将や従者らが駆け回って演出する、という段取りになりました。
経験豊富な惟新殿が中心になって、全体の流れと殺陣の手が決まっていきました。自分の殺陣のみならず、拙者らの手まで指導してくれた手腕はお見事です。拙者もいろいろと勉強になりました。
合戦劇対戦表
源氏 | 平氏 | |
先鋒 | 畠山重忠 (左近殿) | 平重盛 (拙者) |
中堅 | 梶原景時 (松永弾正殿) | 平宗盛 (米屋繁霞殿) |
大将 | 源範頼 (惟新殿) 熊谷直実 (左京亮殿) |
平頼盛 (黒龍斎殿) |
合戦場の最前線にて、3組の殺陣が順番に行われることになりました。平教盛役の真下殿、平知盛役の克殿、建礼門院役のその名も徳子殿の御三方は、この時船に乗っているため、合戦劇へ参加はできませんでした。
拙者と左近殿が演じる殺陣は、それほど難しいものではなかったです。でも、拙者は(特に)苦労しました(^_^;)。理由の一つは、源平時代の鎧の重さ、それにともなったもう一つの理由が、体が動ける範囲に制約があったこと、です。今までに体験したことがなかったのですが、首の後ろに手が回らなかったり(籠手が小さかったから、という説も)、兜のしころが大袖に当ったりして、見た目の華やかさとは裏腹に動くうえで不自由なところが多かったですね。鎧も重量があるので、練習を重ねるとすぐに汗だくになってしまいました。練習に付き合っていただいた左近殿、お疲れ様でした
m(_ _)m
練習の合間に撮ってもらった一枚。 |
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清盛の子供達です。 |
早朝から集合して、殺陣の練習。一息ついたところで、他の参加者の方々も着付けを終えて続々と集まってきました。
そろそろ出発の時間であります。
そうそう、この日の天気はあいにくの「曇り後雨」。この時はまだ曇りの状態で、一時は雲間から青空も見えたのですが、顔に雨粒が当るようになってきました。
拙者心の声(天気よ、何とかもちこたえてくれぃ!!)