たかとり城まつり2003

2003年11月23日開催

拙者が「たかとり城まつり」の存在を知ったのは、去年、真下昌景殿が御自分の鎧で、単騎参加されたという話を聞いた時でした。去年、今年は、基本的には、自分で衣装を用意できる人を時代行列に公募するという形がとられ、拙者は自作の甲冑で参加することにいたしました。
事前に実行委員会の方と話をしたところ、観客に怪我をさせなければ、勝ち鬨なり殺陣なり自由にやってもよい、とのこと。
(そういうことなら、この機会にいろいろやってみよう!)
ということで、今回共に参加することになった真下殿、松永弾正殿、そして拙者の3人でチームを組んで(ちょっと寂しいですが・・)、高取まで出陣することとなりました。

11月23日 日曜日 奈良県高市郡高取町 天気:晴れ
この日は朝から爽やかな青空が広がる一日でありました。やはり、お祭りの日は晴れが一番でありまする!
普段はわりと軽装で出かける拙者も、この日は鎧兜を自分で持って行かねばならなかったゆえ、荷物を多く持って電車に乗り込みました。越後のサムライダー:やーたろー殿のように、鎧を着て高取町まで行けば荷物も減ってだいぶ楽になると思うのですが・・・公共交通機関を使う拙者はできませぬ。バイクの免許持っておりませぬし(もちろんバイクも持っていませぬ)。
この日は3連休の真ん中にあたり、前述の通りの好天だったため、電車の中は大きいリュックサックを背負って登山に行く雰囲気の中年夫婦が多かったのを覚えております。

高取本陣

さて、拙者は着替え場所に到着すると早々に着替え、祭りの見物がてら殺陣を披露する場所の再確認に出ました。
左写真は、メイン会場に設けられた「本陣」です。
鮮やかな鎧をまとった武者が、どっしりと構えております。中には、戦国武将を髣髴とさせる立派な髭をたくわえている方(付け髭ではなく)もいらっしゃいました。

大砲?

こちらは大阪城鉄砲隊所有(なのかな?)の大砲。小さいので小砲と言った方が正しいのかもしれませぬな。
鉄砲隊は午前と午後に1回ずつ鉄砲演舞を行ったのですが、拙者はその時着替え中だったため、銃声しか聞こえなかったのがちと残念でありました。

天誅組踊り

さて、鉄砲隊の次に出てくるのは天誅組
といっても、天誅組に扮した団体ではなく、踊りの団体でありました。これも先月に津や木之本で見た「よさこいソーラン」みたいです。女性や子供が中心だったのが印象的でありました。
<参考>
天誅組は、幕末1863年に尊皇攘夷・討幕を掲げて大和で蜂起した集団です。彼らの蜂起後まもなく、京都で長州藩勢力が追放された8月18日の政変で正統性を失いました。ここ高取藩とも交戦しましたが敗北し、その後間もなく壊滅しました。

う〜〜ん、それにしても今日は本当にいい天気。お祭り日和でござる(^o^)。さて、行列コースの再確認に行くか!
ということで、自作甲冑武者は一人で歩き始めたのでありました。行列コースとなる道はパフォーマンスをやるにはちょっと狭いのが難点。しかし、道はアスファルトではなく石畳であり、一昔前の時代を感じさせる味のある建物が並ぶ街並みなので、時代行列のコースとしてはかなりいい雰囲気を出しております。
フリーマーケットもあちこちに開かれておりました。お酒を売っているところから
「お侍さん、景気付けに一杯飲んでみ〜へん?」
と誘われたりしながら(^_^;)、一通り見て回り、再びメイン会場へ戻りました。
さて、そろそろ殺陣の練習を・・・と思ったところで問題発生。
拙者しか準備完了しておらぬのです。遠方から来る真下殿は、時間ギリギリにならないと到着できないとのこと。弾正殿は既に到着されていたのですが、着替えと準備中。やっと弾正殿が現れたのは、送迎バスが出発するちょっと前。事前に殺陣の練習をしておきましょう、と話していたのに、練習する時間もないままバスに乗り込んで、行列出発地点まで移動となりました。真下殿は、もう、すぐ間近まで来ていらしたようなのですが、ここでは合流できなかったのです。。
う〜〜ん・・大丈夫でござろうか(ーー;)!?

写真その1
弁慶と牛若丸?
(写真提供:みくろ殿)
敦盛・・のつもり
(写真提供:松永弾正殿)

「牛若丸みたい」と言われた弾正殿と、弁慶役(にされてしまった)の大阪城鉄砲隊の先頭を務めた三好清海入道殿。

何の真似をしているのでしょうか?
(答えは、マウスを画像の上にあててしばらくお待ちしていただくと、出てきます。)


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