津まつりの起源は古く、なんと江戸時代まで遡ります。藤堂高虎の跡を継いだ藤堂高次が高虎を祀った八幡宮を移して、各町に祭礼を営むように指示。寛永12年(1635年)には藩費を貸し出して祭りを奨励したそうです。それが現在まで360有余年間、伝統行事として受け継がれてきました。今回拙者が参加した「時代行列」は昭和43年から始まったそうです。
実は、去年も参加したかったのですが、申し込み手続きなどでもたついている間に締切となってしまい、参加できなかった苦い経験があります(^_^;)。今年はしっかりアンテナを張っておいて、情報を捕まえることに成功したのでありました。
して、今回の拙者の役柄は「奉行」。
さらに今回は「お祭り伝道師」の異名をとる(?)よしま殿、準備の段階から参加していた松永弾正殿から「謙信公祭でやったようなパフォーマンスをやってほしい」と頼まれて、二度目の即興パフォーマンスに挑戦することになりました。さて、今回で9回目となる歴史祭り。いったいどうなることやら??
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眠れん!!
時代行列が行われる前日の11日(津まつりの一部のイベントは11日に開催されております。)夜。なぜかまったく眠れない・・。
2ヶ月前の謙信公祭の時はこんなことなかったのに、今回はなぜ・・??
拙者は小・中学生の時、修学旅行の前日などはさっぱり眠れなかった人なのですが、今宵も明日のことで気が昂ぶっているのか?
早朝出発の予定にもかかわらず、夜中の3時まで眠ることができなかった拙者は、一目で寝不足とわかる表情で津まで向かったのでありました。
ちなみに今回は拙者の大学の頃からの友人が共に「奉行」で参加することになりました。前日飲み会で頭痛が取れないという彼の代わりに寝不足の拙者が車を運転することに(^_^;)。しかし、本番当日になると眠気などはどっかに飛んでいってしまったようで、特にトラブルもなく
無事に津に到着。
拙者らは集合時間よりも1時間ほど早く着いたのですが、松永弾正殿、石和で同じ弾正隊所属だった横内鞠雄殿、そして今回初陣となる山本采女介殿の3名は既に到着されておりました。う〜〜む、さすがでござる。
それぞれ挨拶をした後、早速考えてきた即興パフォーマンスについて打ち合わせ。
前回は10名ほどで、また部隊長がやーたろー殿だったため、事前にある程度打ち合わせをしておくことができましたが、今回は人数が増えたうえに、部隊長の藤堂高虎公は騎乗という条件がついており、どういう趣向のものにするか、かなり迷いました。結局、脇役の奉行らを中心として「藤堂家臣団」としての勝ち鬨を上げる、という案に落着。練習は他の参加者の方が揃ってから、ということになりました。
他の参加者の方が来る前に着付け開始。今回の衣装担当は伊勢戦国時代村さんでした。役柄は「奉行」と聞いていたのですが、「四天王」の一人になっていることにびっくり。四天王は他の奉行よりも一段階上の階級のようです。拙者の鎧は角つき兜に桶川胴、袖と草摺は紫糸威と、なかなか豪華なもの。さらに太刀は魚の飾りがついており、刀身には龍の紋様が刻まれておりました(驚)。 |
ふと気付くと、鎧兜まで着用しているのは拙者のみ。他の方々は小具足姿(脛当・籠手まで着けて、胴・兜を脱いでいる状態)でくつろいでいるではありませぬか!
よしま殿「今から鎧着てて疲れませんか?」
拙者「大丈夫です(^o^)!(←ちょっとだけ意地)
(ホントは寝不足だから不安なんだけど・・・)」
槍の稽古に励む山本殿、煙草で一服する横内殿、小姓役の弾正殿は別室で着替え&お化粧と、それぞれ思い思いに行動している間、ただ一人鎧兜に身を固めた拙者は子供と一緒に記念撮影しておりました。
ところで「
他の参加者の方々もだいぶ集まってきたところで、鎧武者がどんどん完成していきます。 | |
左から横内殿、山本殿、弾正殿(小姓役)、拙者、兵糧奉行殿。 |
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こちらは中国人留学生の方々が演じる槍隊。身軽な装いでくつろいでいらっしゃいます。 | |
行列の進行調整などの庶務を担当するよしま殿と黒子さん。 |
着付けが終わった人からお昼ご飯を食べて休憩時間となりました。その後に予定されていた「高虎入城イベント」(拙者らの即興演技とは別物)の練習になるのですが、もちろん、休憩時間にのんびりくつろいでいる拙者らではありません。