イベント2 安濃津城の戦い

慶長5年(1600年)、関が原の戦い。「天下分け目」と称されたあまりにも有名なこの戦いの前に、伊勢国安濃津で激しい戦いが繰り広げられました。西軍は三万余の大軍をもって、東軍・徳川家康に味方する安濃津城主・富田信高ら二千足らずの籠城軍を完全に包囲。そして8月24日、ついに西軍の総攻撃が始まりました。

かかれ〜〜ぃ!!

合図と共に、入り乱れて戦う武者たち!!
広場は乱軍の戦場に早変わりします。

でも、よくみると仲間割れだったりする・・・(^_^;)

(写真提供:鬼雨堂殿)

「とりゃぁ〜〜!!」「でゃぁ〜〜!!」
「我こそは、勇名高き・・・」
「ほいさ!!」「敵将はいずこ!?」
乱戦の戦場。

(写真提供:鬼雨堂殿)

この戦いの最中、勘定奉行は対戦相手にあぶれてしまいました(^_^;)
突っ立って見ているわけにはいかないので、適当にわめきながら戦場を見回す勘定奉行。
ふと、視界に、後方で戦場を眺める高虎公が。
(仕事、見つけたり( ̄ー ̄))
ササっと高虎公に駆け寄って、刀を構える勘定奉行。こうしていれば、主君を守っているように見えることでしょう。数秒後、そんな拙者を発見したうーろん殿が、しばし拙者の相手をしてくれました。お手合わせ、ありがとうござる。
m(^-^)m
さて、安濃津城の戦いでは、富田信高の妻が鎧兜をまとって奮戦し、夫を助けたという話が残っております。なので、戦姫殿がその夫人役を務め、薙刀を得物に華麗な戦いを演じられておりました。

この戦いは、安濃津城下を見るも無残な姿に変貌させたそうです。そして、この地を城下町として再生させたのが藤堂高虎公であります。なので、このイベントでは、富田信高(じーや殿)から高虎公に、安濃津城の譲り状が手渡されました。そして、高虎公の跡を継いだ高次公へと継承され、最後に高次公の勝ち鬨で締めて、閉幕となりました。

戦後の一枚。
高虎公も額の汗を拭うほど。

勘定奉行
「若殿、お怪我はございませぬか?」

高次公
「大丈夫じゃ!そちもご苦労であった!」


元気な高次公は、勝ち鬨の前口上もしっかり決めてくれました。将来が楽しみですな(^o^)

(写真提供:桔梗御前殿)


道端寸劇その1 高虎入封

「道端寸劇」とは、拙者が勝手に名づけました。これは、行列が止まってしまった合間、立ち止まっているだけではなく、何かしらやって盛り上げよう、という発想から来たものです(ちなみに、昨年は即興で「藤堂家臣団の勝ち鬨」をやりました。懐かしい・・)。今年は、藤堂高虎が津に入城した時を想定した寸劇をやりました。

ナレーター(よしま殿)
「天下分け目の関が原の戦いで手柄が認められ、伊勢・伊賀三二万石の領主となった藤堂高虎公。新しい領地の視察に訪れた津の地は、激しい戦いが繰り広げられ、その生々しい傷跡は見るに耐えなかったと言われております。」

勘定奉行「う〜〜む・・話には聞いておりましたが、ひどい荒れようでありますな・・
家老「うむ、確かに荒れ果ててはおる。だが、殿はこの地に新たな城を築くつもりでいらっしゃる。何か気付いたことはないか?」
弾役奉行「申し上げます。この地には海が近くにございます。」
佐伯惟定(因幡真親殿)「同じく申し上げます。すぐ近くに伊勢街道がはしっております。」
高虎公「うむ、その通り。この地は、多くの人と物が集まる可能性を秘めているのじゃ。
    人と物が集まれば、自然と市が開かれ、城下は発展していくものよ。

奥方(長月殿)「さすが『城作り名人』の殿ですね。頼もしゅうございます(^o^)」
高虎公「これも、そなた達の協力あってのものじゃ。
    だが、大変なのはこれからぞ。皆の者、今後もわしに力を貸してくれぃ!!

一同「ははっ!!」
高虎公「よし!まずは手始めに、津の民衆に我らの心意気を示すのじゃ!全員、抜刀〜!! エイ!エイ!
一同「オオォ〜〜!!

と、こんな感じで3回ほど行いました。実際には、セリフを噛んだり、後ろを走る車の音で声が聞こえにくかったりと、至らぬ点もありましたが、観客のみなさんからは暖かい拍手をいただくことができました。
ありがとうございますm(_ _)m

道端寸劇その2 餅と軍旗

藤堂家の軍旗の一つは、白い丸が3つ縦に並んでいるものです
(↓参照)


この白丸、実は「餅」を表しているのです。
一説によると(説は他にもいくつかあるようですが)、高虎公が若年の時の話。
お金を持っていないのに、あまりに腹が減ってお腹と背中がくっつきそうになった高虎公は、手近な餅屋で白餅を食べてしまいました。食べだすと止まらなくなり、なんと20個も平らげてしまったとか。さて、困った高虎公。腹はふくれましたが、支払う金はありません。ええぃ、こうなれば仕方ない!

逃げるぞ!!

という選択肢は選びませんでした。はい。
ええと、どうなったかというと、餅屋は高虎公の見事な食いっぷりを見て感心し、代金は要求しなかったそうです。高虎公はこの時のことを忘れず、餅を軍旗に描き、城持ち大名になってから餅屋にたっぷりと金を与えてお礼をしたそうです。

高虎公
「おお、そちはあの時の餅屋ではないか!久しいのぉ〜」


餅屋(最中餡十郎殿)
「お殿様、ご立派になられて・・。
・・・・(以下、話は続く)」



(写真提供:鬼雨堂殿)

 この寸劇も3回行いました。脇で聞いていて驚いたのは、最中殿扮する餅屋の話術(笑)。台本なんかないはずなのに、次から次へと即興で出てくるセリフの数々は、見事!の一言に尽きますね。これに応える高虎公のアドリブも良かったですね。
最後は、高虎公を祀っている高山神社にて御神酒を頂き、記念撮影を撮って帰陣。
 当初は台風の襲来が心配されましたが、見事な秋晴れになってよかったですね!参加者の皆様、お疲れ様でした!!


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