内蔵助、妻のりくを離別

4月の中ごろ、内蔵助は妻のりくを離別して、実家の豊岡(現在の兵庫県豊岡市)に帰した。幼い子供達は、母・りくと共に豊岡に移ったが、前年に元服し良金(よしかね)と名乗っていた長男の主税(ちから)は(幼名:松之丞)、父・内蔵助と共に山科に残った。
この離別は、りくに武家の妻としての不手際があったからではなく、内蔵助が暴発しそうな江戸急進派に対して、自分にも討ち入りの覚悟があることを暗に伝えたかったため、と考えられている。
りくは豊岡に移ってから、身籠っていた三男・大三郎を出産。この事を手紙で内蔵助に伝え、内蔵助からも義父に対する御礼と子供への心遣いが記された返書が届けられている。

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