内蔵助、江戸へ

堀部安兵衛ら江戸急進派の意気は日に日に盛んになってきた。手紙のやりとりだけでは彼らの昂ぶりを抑えることができないとみた内蔵助は、潮田又之丞や大高源吾らを慰撫の使者として派遣し、説得させたが、江戸急進派の意見は変わらなかった。潮田や大高は、かえって安兵衛に説得されて江戸急進派に属してしまうほどである。
10月下旬、内蔵助自らが江戸に出発した。目的は当然、江戸急進派の慰撫である。11月はじめに江戸に到着し、10日には急進派との会談を行った。この席上で内蔵助は

近いうちに大学様(内匠頭弟・浅野長廣)の処遇が決まるであろうから、それまでは隠忍自重しよう。その結果、仇討ちを行うのなら、3月中に決行しよう。

という方針を出して、なんとか一党の分裂を止めたのである。
14日、内蔵助は泉岳寺に眠る主君を尋ねた。この日は、月は違うが主君の命日である。この時、浪人となっていた不破数右衛門が一党に加わったと言われている。
12月はじめ、内蔵助は京都山科に帰った。

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