浪士処遇の投票

年が明けても、赤穂浪士に対する処遇は決まらなかった。そこで、幕府の重臣60余名がそれぞれの意見を書いて提出するという、投票のようなものが行われたのである。
綱吉の前で意見書が読み上げられたが、どの意見もまるで打ち合わせておいたかのように、特徴のないものであったという。島流しにする、永久お預けの身にする、という意見が一つずつあったのみであった。側用人の柳沢吉保は白紙を投じた。その理由として、どういうものでも上様の意に従うのみ、と説明したという。
最後に、綱吉は
「浪士達の行いは真の忠義であるといえるが、それは浅野家に限ったことであり、天下の道理ではない。従って、切腹を申し付けるのがよいと思う。」
という自分の意見を伝えて、会は幕を閉じた。


投票の真偽

この投票の話は「赤穂義人纂書(あこうぎじんさんしょ:原本は磐城平藩士・鍋田晶山が収集した赤穂事件に関する記録集。)」の「三島氏随筆」に書かれている。しかし、この部分は「この書の真偽はわからないが、理はある。」と、鍋田晶山の注釈が加えられているらしい。そこから既に、この投票の話の真偽は定かではないのである。
この投票は「入札(いれふだ)」と呼ばれる方法で、戦国大名や江戸時代の庶民の間ではしばしば行われていたらしいが、幕府でも行われたという記録は見つかっていないという。さらに、原書となる「三島氏随筆」が見つかっていないという事実もある。そう考えると、この話の信憑性は低いと言わざるを得ない。が、鍋田の注釈にもあるように、この時期の幕府混迷の様子を表しているものであり、最終的な幕府の決断とも一致しているため、実話であったとしても理屈が通らないわけではないかもしれない。

<参考>
・NHK「その時歴史が動いた 第161回 忠臣蔵お裁き始末記」

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