上野介隠居

この日、吉良上野介は嫡孫の義周(よしちか)に家督を譲り、隠居の身となった。既に無役の身となっていたが、隠居することで幕政の表舞台からは完全に身を引いた形になった。
家督を継いだ義周は、上野介義央の「孫」であり「息子」ではない。これは、上杉家との縁組関係に起因している。
上野介義央の正室は、上杉家当主・上杉綱勝(景勝の孫)の妹・三姫(富子)であった。上杉綱勝は病気がちな人物で、嗣子がないまま突然病死してしまった。戦国時代の名将・上杉謙信以来、武家の名門であった上杉家は断絶の危機にさらされたのである。この時、上野介と三姫の間に産まれた男子を綱勝の養子として、後を継がせることで上杉家はなんとか断絶を免れることができた(ただし、30万石から15万石に減知された)。上杉家を継いだ上野介の息子は「綱憲」と名乗り、吉良家と上杉家は親子の関係になった。
上野介には男子が二人誕生したが、もう一人は早世してしまっているため、嫡男がいなかった。そこで、綱憲の次男を上野介の養子という形にして、吉良家を継がせたのである。
映画などで、上杉家が吉良家の味方で登場するのはこういう経緯があったためである。

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