円山会議

7月18日、浅野大学長廣に浅野本家である安芸浅野藩にお預けという処分が下された。この報が浪士達にもたらされ、内蔵助は京・大坂に在住している同志を召集。京都・円山にて会議を開いた。会議の参加者は19名で、顔ぶれは、大石内蔵助・間瀬久太夫・小野寺十内、そして江戸から駆けつけてきた堀部安兵衛らである。
浅野家再興の望みを絶たれた今、彼らの目指すところは一つになった。吉良邸討ち入りである。この会議で討ち入り決行が決議され、本格的な準備が開始された。まず、内蔵助は討ち入りに臨むにあたって、参加者の再選定を行った。この時既に、起請文を集めてから1年もの月日が流れている。その間、浪人生活をしていた者の生活環境も変わっていれば、心境の変化があってもおかしくない。そこで、貝賀弥左衛門、大高源吾を使者として派遣し、討ち入りはなくなったと偽って、起請文を返させたのである。既に討ち入りに参加する気持ちがなくなっていた者は起請文を受け取ったが、討ち入りを心待ちにしていた者は怒りだして起請文をつき返した。この起請文返しで脱落者は70名にものぼり、同志は全部で50人ほどと、半分以下に減少してしまった。

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