内蔵助、京都山科へ

赤穂にて残務処理を終えた一同は、6月4日に解散した。内蔵助は24日に花岳寺で主君・内匠頭の百か日法要をとり行い、25日に新浜浦から船で大坂に向かった。そこで、先に出発していた妻のりくと子供達と合流し、28日に新居のある京都は山科、西の山に落ち着いた。
彼が、再び故郷の赤穂の地を踏むことはなかった。

赤穂御崎にたたずむ大石内蔵助像。赤穂を去る時の姿を想像して作られた。
彼はどのような心境で赤穂を去ったのだろうか・・?

四十七士物語年表へ戻る