赤穂浪士の討ち入り

前日の夜から降り続いた雪で、江戸は朝から雪景色となっていた。雪は多くの武士・町人・商人ら江戸の者にとっては難儀なものであったが、主君の仇討ち・吉良邸討ち入りを決行しようとする播州赤穂浪士達にとっては有利な天気であった。彼らは十分に戦闘準備を行い、防寒着で事を起こすことができるが、不意を討たれた吉良方は赤穂浪士だけでなく寒さとも戦わねばならなかった。
しかし、赤穂側にも不安要素はあった。京都・円山会議ののち、討ち入り浪士の再選定を行ってはいたが、準備が進むにつれて討ち入りが現実のものとして見えてくると、恐怖・怖れを感じて脱走する者が相次いだ。残った者は47名。吉良邸には100名ほどの侍がいると予想されていた。対する赤穂浪士は、吉良方の半数程度であった。
夕刻頃。
江戸の各地に潜伏している浪士・諸々の討ち入り道具が船を使って集結。
準備が完了してから、浪士達の統領・大石は組み分けを発表した。

表門隊 裏門隊
い組 大石内蔵助良雄 り組 大石主税良金
原惣右衛門元辰 吉田忠左衛門兼亮
ろ組 堀部弥兵衛金丸 ぬ組 潮田又之丞高教
間瀬久太夫正明 小野寺十内秀和
村松喜兵衛秀直 間喜兵衛光延
村松三太夫高直
は組 近松勘六行重 る組 不破数右衛門正種
間十次郎光興 木村岡右衛門貞行
大高源吾忠雄 前原伊助宗房
に組 早水藤左衛門満尭 を組 間新六光風
矢頭衛門七教兼 千馬三郎兵衛光忠
神崎与五郎則休 茅野和助常成
ほ組 岡野金右衛門包秀 わ組 間瀬孫九郎正辰
貝賀弥左衛門友信 奥田貞右衛門行高
横川勘平宗利 中村勘助正辰
へ組 片岡源吾右衛門高房 か組 堀部安兵衛武庸
富森助右衛門正因 磯貝十郎左衛門正久
武林唯七隆重 倉橋伝助武幸
と組 矢田五郎右衛門助武 よ組 赤埴源蔵重賢
奥田孫太夫重盛 大石瀬左衛門信清
勝田新左衛門武尭
ち組 吉田沢右衛門兼定 た組 菅谷半之丞政利
小野寺幸右衛門秀富 三村次郎左衛門包常
岡島八十右衛門常樹 杉野十平次次房
寺坂吉右衛門信行

吉良邸は広大な敷地を持っているが、出入り口は表門と裏門の二つのみである。吉良を屋敷の外に逃がさないためには、47名を二手に分けて出入り口を完全に封鎖する必要があった。表門隊の大将はもちろん大石内蔵助。吉良の寝所に近く、激戦が予想された裏門隊の大将は嫡男の大石主税とし、副将として始終、内蔵助を支えてきた吉田忠左衛門(62)を添えた。
そして寅の上刻(午前3時頃)。時を同じくして表門隊は数名がはしごを使って門を乗り越え、扉のかんぬきをぬいて全員突入、裏門隊はかけや(門壊用の大きな木槌)で扉を破って突入した。
表門隊の一番乗りは「ち組」の小野寺幸右衛門(27)。玄関を蹴り破って屋内に突入、さらに襖を倒して次の部屋に入ったところで数名の吉良方の侍が襲ってきた。幸右衛門はそのうちの一人と対峙、繰り出す敵の槍をかわして斬り伏せた。ふと気付くと、この部屋にはたくさんの弓が並べられている。幸右衛門は咄嗟の判断で弓の弦を全てなぎ払い、使い物にならないようにしてしまった。
文武両道の士だった矢田五郎右衛門(28)は屋内で奮戦している際、斬り伏せた相手と共に火鉢に刀をぶつけて折ってしまった。その後は、斬った相手の刀を拾って戦ったという。
裏門隊は予想されたとおり、多くの吉良方侍が現れたちまち激戦となった。裏門隊大将の大石主税は門を破ってすぐに出てきた敵と対峙、気合と共に槍を突き出して相手を突き伏せた。若干15歳に過ぎない主税の奮戦に、一同の士気はおおいに高まったという。
磯貝十郎左衛門(24)は台所でうろうろしていた者を取り押さえた。その者は
「私は身分の低い台所役人でございます。どうかお見逃しくだされ」
と震えた声で哀願した。討ち入り前に大石は、女子供はもちろん無抵抗の者には手を出さないように厳命していたが、彼はあえて台所役人を脅してロウソクを出させた。このロウソクを灯して屋敷内を明るく照らしたのである。
四十七士最強の剣客と評されていた堀部安兵衛(33)は、苦戦している味方を助けて次々と敵と斬り結んでいった。数で劣る赤穂勢がどんどん屋内に攻めていけたのは彼の活躍によるところが大きい。
豪勇の士である不破数右衛門(33)の持ち場は屋外だったが、主戦場が屋内に移って屋外に敵がいなくなるといてもたってもいれなくなり、屋内に乱入した。戦闘終了後、彼の体は返り血で真っ赤であり、刀は刃こぼれがひどくて使い物にならなかったという。
弓の使い手であった神崎与五郎早水藤左衛門(39)・茅野和助(36)は、敵の威嚇・味方の掩護に活躍した。
不意打ちを受けたに等しかった吉良勢もなかなかの奮戦を見せたが、赤穂勢の勢いを止めることはできなかった。赤穂勢が十分な着込みをしていたのに対し、吉良勢の多くは寝巻き姿のままであった。寒い夜では明らかに不利な要因であった。さらに赤穂勢は着込みの下に鎖帷子くさりかたびらを着用していたため、浅い斬撃などはあっさりとはじき返されてしまった。それだけに、赤穂勢は勇猛果敢に攻めにまわることができた。それに比べて吉良勢は防具になるような物は着用する余裕がなかったから、浅い攻撃でも手傷を負ってしまった。
戦闘開始から約2時間。屋敷の奥ではまだ激戦が続いていたが、ついに赤穂勢が待ちこがれていた笛の音が邸内に響き渡った。吉良上野介の首級を挙げたという、勝利の笛であった。
吉良上野介の寝所に近かった裏門隊は、立ちはだかる吉良勢を突破して上野介の寝所(と思われる部屋)にたどりついたが、布団は空で上野介の姿はない。二つしかない門は赤穂勢が制圧しているので、邸内のどこかに隠れたに違いない。間重次郎(25)と武林唯七(31)が吉良を探していたところ、かすかな物音が彼らの耳に入った。怪しんで近づいてみると、突然戸が開いて皿やら鉢やらと一緒に、二人の侍が刀を振りかざして飛び出してきた。これを討ち果たし、中をのぞいてみると、白い物がうずくまっている。さらに近づいてみると、その白い物は突然奇声を発して小刀を振り上げてきた。驚いた重次郎は持っていた槍で一突き、さらに武林が一太刀浴びせると、その者はうめいて倒れた。暗い小屋の中から外に引き出して見れば、その者は白無垢の小袖を着た老人であった。白無垢の小袖は身分の高い者のみが着用できる寝巻きである。この老人こそ吉良上野介ではないか?亡君が斬りつけた傷跡を確認してみると、眉間の傷についてはよくわからなかったが、背中には縫った痕が確認できた。吉良上野介に間違いあるまい。感極まる彼らは勝利の笛を吹いたのであった。
一番槍をつけた間重次郎が上野介の首を斬り落とした。念のため、捕らえておいた者にその首を見せて、間違いなく吉良上野介であることを確認した。袋に包んだ吉良の首級は潮田又之丞高教(34)が槍先に掲げて引き上げとなった。一行が目指したのは、主君・浅野内匠頭が眠る泉岳寺である。

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