山科会議

この日、山科の内蔵助邸で会議が行われた。前年の11月、江戸急進派に対しては3月頃には浅野長廣の処遇が決まると見込んで、3月に討ち入り決行と伝えていたが、予想に反して長廣の処遇はなかなか決まる気配を見せなかった。
この会議で、事を起こすのは浅野長廣の処遇が決定してから、という内蔵助の方針が採択されたが、江戸急進派はおそらく納得しないであろう。そこで、この会議の決議を知らせることと、江戸急進派を説得するという二つの役目を持つ使者として、吉田忠左衛門(62)と横川勘平(36)が派遣された。

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