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赤間神宮

時代区分源平合戦分類区分神社寺院旧国名長門
現在地山口県下関市阿弥陀寺町

関連人物

・安徳天皇 ・平家一門

関連事件

壇ノ浦の戦い

赤間神宮は壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀っています。

赤間神宮の正面

正面を裏から見た一枚。
海を挟んで対岸が見えます。

正面の門から本殿へと続く渡り廊下がいい雰囲気を出しておりました。

こちらは本殿の脇にひっそりとたたずんでいる「七盛塚」。
壇ノ浦の戦いで亡くなった平氏一門を祀ったものです。
前列
左近衛少将  平有盛
左近衛中将  平清経
右近衛中将  平資盛
副将能登守  平教経
参議修理大夫 平経盛
大将中納言  平知盛
参議中納言  平教盛

後列
伊賀平内左衛門 平家長
上総五郎兵衛   忠光
飛騨三郎左衛門  景経
飛騨四郎兵衛   景俊
越中次郎兵衛   盛継
丹後守侍従   平忠房
従二位尼    平時子

赤間神宮では、毎年5月2日に「先帝祭」という神事を執り行っております。
壇ノ浦で平氏が滅びた後も、一部の残党は再興を画策していたのですが、事は成らず。帰農する者、漁業を営む者など、それぞれの道を歩んでいったそうです。しかし、安徳帝の命日(旧暦3月24日。現在の暦に換算すると5月2日)になると、威儀を正してここに参拝に訪れたそうです。また、取り残された多くの女官達も、上臈の姿で香華を手向けることが恒例となったそうです。彼らが亡くなった後も、地元の人々に連綿と受け継がれ、無形文化財指定を受けております。

<交通手段>
・JR「下関」駅より徒歩30分ほど(普通はバスを使うと思います)

探検日:2004年5月2日
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