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秋月城

築城年 1624年 分類 平城?
築城者 黒田長興
歴代城主 黒田家
現在地

福岡県甘木市秋月町
(旧国名:筑前)
<左写真:瓦坂>

略歴

・寛永元年(1624年)  黒田長政の三男・長興が分藩として秋月黒田藩5万石の藩主となる

<秋月城の沿革>
 秋月の歴史は古く、建仁3年(1203年)原田種雄(はらだ たねかつ)が、源頼家から秋月荘を与えられたことから「秋月」の姓を名乗り、その支配体制を確立したことから始まりました。しかし、こうしてひらかれた秋月家の居城が、この秋月城だったわけではありません。秋月家の居城は、北にそびえる古処山(こしょさん)に築かれた古処山城でありました。では、秋月城が築かれたのはいつかというと、江戸時代初期の寛永元年(1624年)黒田長興(くろだ ながおき)が秋月5万石の藩主となった時だったそうです。長興は黒田長政の三男で、長政の遺言により、福岡黒田本家の分藩として、秋月黒田藩が誕生しました。以降、秋月は黒田家が明治維新まで統治することになります。
 秋月城は、城といっても大きな櫓などはあまり築かれませんでした。城というよりはむしろ「陣屋」と呼んだ方が相応しいかもしれません。秋月黒田家は「分家」という立場なので、あまり豪壮な城は必要ではなかったのかもしれません。上の写真は「瓦坂」と呼ばれる大手門に繋がる道です。この坂道は、瓦が縦に埋められており、土が流出するのを防ぐ構造になっております。瓦を縦に埋めている、というのは珍しい構造ですよね。

<おすすめ見所>
長屋門
 秋月は「筑前の小京都」と呼ばれることもあるほど、昔の風情を残した町並みになっています。なので、城の付近を散策するだけでも十分楽しいです(^-^)
 こちらの写真は「長屋門」。秋月城築城の頃から、移築されることもなく、現存している貴重な門です。秋月城模型を見たところでは、城内に入る大きな門は、瓦坂から入る大手門の他はこの長屋門だけのようです。島原の乱に赴く黒田家の軍勢、そして明治初頭の秋月の乱など、秋月の歴史を見続けてきた門なんですね。

黒門
 名前の通り、真っ黒な門。「黒門」です。元は、古処山城の搦め手門だったのですが、秋月城築城にあたって、秋月城の大手門となり、廃藩後は藩祖・黒田長興を祀る垂裕(すいよう)神社の門として移築されております。この門は、様々な場所から秋月の歴史を見てきた門となるわけですね。

 観光地でもある秋月は、他にも見所がたくさんあります。全て紹介していてはきりが無いので、こちらではあと一つだけ。
拙者のオススメは「秋月郷土館」を見て行くことをオススメします。秋月城の模型の他、日本史の教科書にもよく出ている島原の乱の屏風や、黒田長興が着用した鎧兜、その家臣団が着用した鎧兜など、歴史好きにはたまらない品々が陳列されております。秋月に来た際には、是非足を運んでみてください。
<見学情報>
・駐車場
有料駐車場(1回300円)が周囲にいくつかあります。

・季節
いつも美しい風景が見れると思いますが、特に桜の時季と紅葉の時季は格別でしょう。



探検日:2007年5月2日
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