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時代区分平安時代分類区分神社寺院旧国名山城
現在地京都府宇治市宇治蓮華116
世界文化遺産
関連人物

・藤原頼通

関連事件・宇治川の戦い

平等院(宇治川)

平等院は永承7年(1052年)、時の関白・藤原頼通によって開かれました。元々は頼通の父・藤原道長の頃から藤原氏の別荘となっていたものを、寺にしたとのことです。翌年の天喜元年(1053年)に阿弥陀如来像を安置するために阿弥陀堂を建立しました。この阿弥陀堂が、現在「鳳凰堂」と呼ばれている建物です。

鳳凰堂

学校の歴史教科書・資料集によく載っている鳳凰堂。
平等院といえば、一番最初に連想されるのはこの鳳凰堂でしょう。
10円玉にも描かれていますね。

さて、実はこの平等院、源平合戦にも縁があるのです。平等院が建立されてから約100年の後、治承4年(1180年)に平家追討の令旨を出した以仁王源頼政は、挙兵計画に失敗して逃走する途中、平家の追っ手にここ宇治で追いつかれ、宇治川を挟んで激しい戦いを繰り広げたのであります。

扇の芝

源頼政軍は奮戦したのですが、衆寡敵せず。流れ矢を受けた頼政は軍扇を開き、鳳凰堂のすぐそばのこの地で自刃したと伝えられています。
治承4年5月26日。享年77(←当時ではかなりの高齢といえるでしょう)。

源頼政の墓

平等院敷地内の不動堂の一隅に、頼政の墓が建てられております。
彼の辞世の歌は
埋もれ木の 花咲くことも なかりしに 身のなる果てぞ 哀れなりける
物悲しさを感じさせる歌ですね。
平等院では年に1回、源頼政の慰霊祭を行っているそうです。

宇治川先陣の碑

宇治川といえば、寿永3年(1184年)にもう一つ大きな戦いがありました。源義経源義仲を破った宇治川の戦いがそれです。

宇治川先陣争いの碑

平等院のすぐそば、宇治川の中洲が公園として整備されております。その公園に記念碑が立っています。
宇治川の戦いは義経軍の佐々木高綱梶原景季の先陣争いで幕を開け、一気に渡河した義経軍の勝利に終わったそうです。

<交通手段>
・電車:JR奈良線「宇治」駅、京阪宇治線「京阪宇治」駅より徒歩10分ほど。
・車:付近に有料駐車場多数あり。
<開館情報>
・拝観料 大人:600円
・拝観時間 午前8時30分〜午後5時30分(鳳翔館は午前9時〜午後4時30分)
 冬季(12月1日〜2月末)は午前9時〜午後4時30分
・鳳凰堂内に入るは別途500円が必要

此度の平等院探検に御同行いただいた兵糧奉行殿に、この場を借りて御礼申し上げまするm(^_^)m

探検日:2003年12月23日
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