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平戸城

築城年 1704〜1718年 分類 平山城?
築城者 松浦棟
別名 亀岡城
歴代城主 松浦家
史跡指定
現在地

長崎県平戸市岩の上町1458
(旧国名:肥前)
<左写真:平戸城遠景>

略歴

・1599年(慶長4年) 松浦鎮信が亀岡に日の岳城を築く
・1613年(慶長18年)日の岳城を焼き捨てる
・1704年(宝永元年) 松浦棟が山鹿素行の縄張りで平戸城築城に着手
・1718年(享保3年) 平戸城完成
・1962年(昭和37年)現在地に平戸城復元完成

<平戸城の沿革>
 復元された現在の平戸城が築かれたのは江戸時代。松浦家第30代当主・松浦棟(まつら たかし)が、軍学者の山鹿素行(やまが そこう)の縄張りによって築かれた城です。江戸時代に築かれた城、ということで全国的にも珍しい城ですが、平戸築城以前から、この地は松浦家の拠点としておよそ600年の歴史(平戸松浦家の始祖・松浦持(たもつ)が平戸に拠ったのは1225年)を持った土地であります。
 平戸城が築かれた山は「亀岡」と呼ばれている山でしたが、実はこの地、2回城が築かれているのが特徴です。1回目は26代当主の松浦鎮信(まつう しげのぶ)1599年に築いた「日の岳城」でした。しかし、大坂の陣が迫るにつれ、豊臣秀吉と親交が深かった鎮信は徳川家康から疑いの眼を向けられます。その疑いを晴らすため、自らの手で日の岳城を焼き捨てて平戸6万1700石を守ったそうです。
 その後、松浦家は御館に住んで平戸を治めておりましたが、30代当主の松浦棟が幕府の許可を得て築いたのが2回目の築城になります。以後、平戸城は松浦家の居城として機能し、明治維新を迎えることになります。

<平戸城の写真>
北虎口門
 現存遺構の北虎口門。古びた木の扉がいい雰囲気でした。

天守閣
 元来、平戸城に天守閣はありませんでしたが、観光目的でコンクリート造の天守閣がそびえております。毎日夜22時までライトアップされているそうです。

中山愛子像
 中山愛子像。34代当主・松浦清の11女で、明治天皇の祖母(娘の慶子が明治天皇生母)。明治天皇の誕生に、平戸松浦家はたいへんな喜びようであり、天皇の産着が松浦家に送られております(松浦史料博物館蔵)

<管理人の感想>
 天守閣は復元コンクリート天守閣ですが、海に囲まれた周囲の景色は、平戸が島であることを改めて認識させられました。戦国時代の平戸は、オランダ船やポルトガル船が来航する他、明の鄭成功の生誕地であるなど、国際色豊かな場所でした。現在、和蘭商館の復元募金事業なども行われており、今後の発展が楽しみなところです。
 また、平戸城から平戸港をはさんで向かいにある松浦史料博物館は、収蔵品の数や質も優れており、一見の価値があります。

<開館情報>
・入館料:大人500円 高校生300円 小人200円
・開館時間: 8:30〜17:30
・休館日:12月29日〜31日
・車:付近に無料駐車場あり

<周辺観光情報>
ザビエル記念教会
 戦国時代、ポルトガルやオランダとの交易で栄えた平戸は、キリスト教の影響が残っているそうです。実際、日本にキリスト教を伝えたことで有名なフランシスコ=ザビエルも平戸を拠点のひとつとして活動していました(こちらを参照)。ザビエル記念教会は、昭和になってから建築された教会であり、平戸観光名所の一つになっています。

探検日:2006年2月26日
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