時代区分 | 戦国時代 | 分類区分 | 城・砦 | 旧国名 | 伊賀 |
現在地 | 三重県上野市丸の内 | ||||
関連人物 |
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関連事件 |
伊賀上野城は三重県北西部に位置する上野市にあります。この辺りはかつては「伊賀」の国でありました。伊賀といえば、最初に出てくるのはやはり「忍者」。伊賀上野城(雅名:白鳳城))の敷地内には忍者博物館もあります。が、こちらでは忍者ではなく、伊賀上野城を紹介いたしまする。
伊賀上野城の歴史 (参考:伊賀上野城パンフレット)
1581 | 天正9年 | 織田信長の家臣・滝川雄利が伊賀領主として上野城を築城。 |
1583 | 天正11年 | 脇坂安治が上野城を攻略。滝川氏は伊勢へ逃れる。 |
1585 | 天正13年 | 筒井定次が大和郡山から転封されて入城。大改修を行い、三層の天守を築く。 |
1608 | 慶長13年 | 筒井定次が失政を理由に改易される(その後、江戸で切腹)。 代わって伊予から藤堂高虎が伊賀・伊勢の領主として入城。 |
1611 | 慶長16年 | 上野城の大改修が始まる。 |
1612 | 慶長17年 | 大暴風雨のため、竣工直前の五層天守閣が崩壊。以後、再建されずに城代が置かれる。 |
1935 | 昭和10年 | 上野出身の衆議院議員川崎克氏が私財を投じて天守閣を再建。 |
@天守閣
現在の伊賀上野城天守閣は昭和に再建されたもの。3層構造でわりと小ぶりでありますが、この城は川崎克という政治家が私財を投じて再建されたものなのであります。なんでも、この地方の干害対策に尽力したため、郷民から彼の銅像建設の申し出を受けたのですが、自分の銅像よりも天守閣の復興をしたいと話して協力を求め、資金を経費として受け取り、不足分は古美術品を売り払うなどして調達。昭和7年から起工され、3年後に完成。現在に至る、とのこと。 |
天守閣入ってすぐ、正面に藤堂高虎人形が待ち構えておりました。1階には兜・甲冑などをはじめとする遺品が、2階は松尾芭蕉関連のもの。3階は展望室となっており、天井は横山大観などの色紙46点を貼った絵天井となっております。
A高石垣
伊賀上野城の名物は、この高石垣。 |