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城・砦選択

時代区分戦国時代分類区分城・砦旧国名越前
現在地福井県福井市中央1丁目

関連人物

・柴田勝家 ・お市の方

関連事件

北の庄城址(柴田神社)

北の庄城は、戦国時代も終わりごろ、織田信長の重臣であった柴田勝家が、北陸方面攻略の時期に居城とした城でありました。しかし、1582年の本能寺の変で信長が倒れた後、勝家は主君・信長の後継者問題で 豊臣秀吉と対立。翌1583年の賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れ、勝家は北の庄城を枕に自害して果てたのでありました。
その後、北の庄城は廃城となり、江戸時代に福井城築城が始まると、北の庄城の石垣も福井城に運ばれてしまい、現在では跡形もほとんどない状況であります。北の庄城があったと考えられている場所は、福井駅のすぐそばで、今は「柴田神社」があります。 越前時代行列に参加した拙者は、帰りの電車の時間まで、真下殿、やーたろー殿と共にちょこっと足を伸ばしてみたのでありました。

入り口

北の庄城址に建てられた柴田神社は福井駅のすぐそば。歩いて5分ぐらいで着いてしまいます。標識は出ておりますが、街中にぽつんと入り口の鳥居があるという状況で、意識して探さないと気付きにくいかもしれませぬ。
2004年4月、地下に眠っていた北の庄城の石垣の一部を公開した史跡公園としての整備が完了しました。新しく歴史資料館も建設されたため、神社と資料館を備えるしゃれた(珍しい)公園となっております。なかなかいい雰囲気でありました。

お市の方像
柴田勝家像

神社の敷地はたいへんこじんまりとしておりました。
入ってすぐに左上写真のお市の方の銅像があり、そのすぐそばに柴田勝家の銅像が。
お市の方は信長の妹で、当時絶世の美女と讃えられていたそうです。最初は、近江の大名・浅井長政に嫁ぎましたが、やがて長政と信長は対立。長政が敗れて自刃したのち、お市の方は実家の織田家に戻りました。その後、正室をなくしていた柴田勝家の正室として再嫁したのであります。
北の庄城落城の際は、3人の姫君を逃がし、自分は夫・勝家と共に自刃して果てたのでありました。
右上写真の柴田勝家像は、長い槍を持ち、ひげもじゃ顔で、いかにも戦国の猛将、という風格を漂わせております。

石垣跡

こちらは、北の庄城の石垣の根元の痕跡、と考えられているそうです。この部分は掘り下げられており、周囲は透明な壁で仕切られておりました。見学者はこの石垣跡を上からのぞきこむ形で見ることになります。

<交通手段>
JR福井駅より徒歩5分。
商店街から回った場合は気付きにくいです。意識して探さないと通り過ぎるかもしれません。
探検日:2003年4月6日
2004年4月10日
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