時代区分 | 戦国時代 | 分類区分 | 城・砦 | 旧国名 | 越前 |
現在地 | 福井県福井市中央1丁目 | ||||
関連人物 | ・柴田勝家 ・お市の方 |
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関連事件 |
北の庄城は、戦国時代も終わりごろ、織田信長の重臣であった柴田勝家が、北陸方面攻略の時期に居城とした城でありました。しかし、1582年の本能寺の変で信長が倒れた後、勝家は主君・信長の後継者問題で
豊臣秀吉と対立。翌1583年の賤ケ岳の戦いで秀吉に敗れ、勝家は北の庄城を枕に自害して果てたのでありました。
その後、北の庄城は廃城となり、江戸時代に福井城築城が始まると、北の庄城の石垣も福井城に運ばれてしまい、現在では跡形もほとんどない状況であります。北の庄城があったと考えられている場所は、福井駅のすぐそばで、今は「柴田神社」があります。
越前時代行列に参加した拙者は、帰りの電車の時間まで、真下殿、やーたろー殿と共にちょこっと足を伸ばしてみたのでありました。
北の庄城址に建てられた柴田神社は福井駅のすぐそば。歩いて5分ぐらいで着いてしまいます。標識は出ておりますが、街中にぽつんと入り口の鳥居があるという状況で、意識して探さないと気付きにくいかもしれませぬ。 |
神社の敷地はたいへんこじんまりとしておりました。 |
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こちらは、北の庄城の石垣の根元の痕跡、と考えられているそうです。この部分は掘り下げられており、周囲は透明な壁で仕切られておりました。見学者はこの石垣跡を上からのぞきこむ形で見ることになります。 |