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丸亀城

別名は亀山城、蓬莱城
築城年 1597年
1643年再築城
分類 平山城
築城者 1597年:生駒親正 1643年:山崎家治
歴代城主

生駒家(17万6千石)
→ 山崎家(5万3千石)
→ 京極家(6万石)

石垣形態

大部分は打ち込みハギ(布積み)
一部、切り込みハギ、野面乱積

天守閣

高さ:約15m
外観3層3階 現存木造天守
(1951年、国の重要文化財指定)

現在地

香川県丸亀市一番丁
(旧国名:讃岐)
<左写真は、大手門前駐車場より撮影>

略歴

・慶長2年(1597年)  生駒親正が築城開始
・慶長7年(1602年)  丸亀城完成
・元和元年(1615年)  幕府の一国一城令により廃城
・寛永20年(1643年) 山崎家治が再築城
・昭和32年(1957年) 丸亀城跡が国史跡に指定される

<丸亀城の沿革>
1.生駒氏の築城
 天正15年(1587年)に播州赤穂から讃岐一国の領主となった生駒親正(いこま ちかまさ)は、西讃の守りとして築いたのが丸亀城でした。丸亀城が完成したのは慶長7年(1602年)でしたが、生駒氏の居城は高松城であり、丸亀城には城代が置かれていたそうです。
 このような丸亀城は、豊臣氏が滅んだ元和元年(1615年)、徳川幕府による一国一城令により廃城となってしまいました。

2.山崎氏の再築城
 寛永17年(1640年)に生駒氏が改易されたのち、西讃岐には肥前国天草郡の富岡城から山崎家治(やまざき いえはる)が5万3千石の領主となりました。家治は、丸亀城の跡地を居城に定め、幕府から許可を得て再び丸亀城が築かれました。一度、廃城となった土地に再び城が築かれるのは、珍しい例ではないでしょうか。しかし、山崎氏によって再建された丸亀城は明暦2年(1656年)に焼失したと、高松藩の記録に残されているそうです。

3.現在の丸亀城
 現在残っている丸亀城の天守閣や大手門などは、山崎氏が断絶した後に、丸亀6万石の領主となった京極氏が築いたものになります。明治維新を迎え、丸亀城には陸軍の兵営が設置され、櫓や多聞などはほとんどが破壊されましたが、天守閣と大手門(昭和32年国指定重要文化財)は残されて現在に至っております。

<丸亀城の写真>
大手門と天守閣
天守閣を本丸南西より撮影

<管理人の感想>
 丸亀城天守閣は12城ある現存木造天守閣のなかでも一番小さい天守閣となっております。天守閣の中は、簡単な資料館となっており、最上階からは丸亀市が一望できました。
 丸亀城の最大の特徴は、石垣の美しさにある、と言われております。天守閣に至るまで4段階に積み重ねられた石垣は「扇の勾配」とも「清正流三日月勾配」とも呼ばれており、弧を描いて反っている姿がたいへん美しいです。

<交通情報>
・車:大手門前に無料駐車場あり

<付記>
 周囲には、美味しい讃岐うどんの店が多いです。是非、食べてみてください(^-^)

探検日:2005年3月19日
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