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将門首塚

時代区分平安時代分類区分史跡公園旧国名武蔵
現在地東京都千代田区大手町一丁目一番一号
都旧跡 (昭和46年3月30日指定)
関連人物・平将門
関連事件平将門の乱鎮圧

東京大手町はオフィス街。平日は車やバイク便が頻繁に往来し、スーツ姿のビジネスマンが闊歩している場所です。
そんな街の中に、ひっそりと平将門の塚がたたずんでおります。平将門は平安時代に関東で武勇を奮った豪族で、その勢力は一時的ながらも、新皇と称して京都朝廷から独立するほどのものでした。言い換えれば朝廷に逆らった逆賊にもなるのですが、地元ではむしろ勇士として崇められ、各地に将門伝説を残しております。
ここの将門首塚も、その伝説の一つに由来しております。その内容は・・・
京都で晒されていた将門の首が、3日後に白光を放って東方に飛び去り、武蔵国豊島郡芝崎に落ちた。大地は轟き、太陽も光を失って暗夜のようになった。そこで、村人が祟りを怖れて塚を築いて供養した。
というもの。ここに将門の首が落ちた、ということなのです。
しかし、その後もしばしば将門の怨霊が祟りをなすため、鎌倉時代、徳治2年(1307年)に真教上人が将門に蓮阿弥陀佛という法号を贈り、石塔婆を建てて霊を供養し、さらにそばの神田明神に祀ったので、ようやくおさまった。とのことです。
将門塚と呼ばれてきた塚は、関東大震災で崩れてしまったために現存していないそうですが、将門の墓と称されてきた石灯篭は現存しています。

将門塚

将門の塚。現在でも参拝に訪れる人は多く、花や水(酒?)が供えられておりました。
石碑の裏側に燈篭みたいなものが建っておりました。そして、周囲にはなぜか蛙がいっぱい。
この蛙は何なのでしょうね?

<管理人の感想>
 さて、上記の将門伝説。現代の常識で考えれば、京都に晒されていた首が空を飛んで、武蔵の国に落ちたなんて、ありえるはずがありません。当然、事実ととしての信憑性があるわけもないでしょう。
しかし、こういう伝説が生まれた、ということに拙者は興味を持ちました。ちょっと、この伝説の由来を考えてみて、いくつか候補が出てきたので、挙げてみると・・

・地方政治の乱れを怨んだ民衆が、かつて朝廷と対立した将門を英雄として讃えたことから生まれた。(将門を霊にすることで、恐れ多い者として作り上げた)
・この頃、この地に隕石が落ちたため、轟音が響き渡り、舞い上がった砂塵は空を覆った。人々は将門の霊の仕業だと考えた。(この時代の少し前に現れた、宮中に落雷したのが菅原道真が雷神となって復讐した、という話に似ている。)
・晒されていた将門の首が何者かによって持ち去られ、行方不明になった。結局見つからなかったため、様々な憶説が飛び交った。その中でも有力だったのが、関東に飛来したというこの伝説だった。

まぁ、どれも根拠のない推論ですが、平将門が当時の人々、後世の人々に与えた影響は大きなものであった、ということは間違いないでしょう。
(上記以外にも、この将門伝説が生まれた原因を考えた方、よろしければ拙者の方までご一報ください。掲載できるものがあれば、御名前と共に、一説として掲載させていただきまする。)

<交通手段>
・JR「東京」駅下車。徒歩5分ほど。

探検日:2004年1月30日
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