史跡探検記表紙 > 城・砦選択

松阪城

時代区分織豊戦国時代分類区分城・砦旧国名伊勢
現在地

三重県松阪市殿町

三重県指定史跡 (昭和27年7月9日 指定)

城分類平山城
関連人物

・蒲生氏郷(築城)
・服部一忠(城主)
・古田重勝(城主)

略歴

・天正16年(1588年) 蒲生氏郷が築城
・天正19年(1591年) 服部一忠が入城
・文禄4年(1595年)  古田重勝が入城
・元和5年(1619年)  紀州藩領となる
・正保元年(1644年)  台風で天守閣倒壊
・明治14年(1881年) 城跡公園となる

石垣が綺麗です

<松阪城の沿革>
 松阪城は、豊臣秀吉から伊勢に封じられた蒲生氏郷(がもう うじさと)が、四五百森(よいほのもり)の地形に着目して築城したそうです。しかし、築城した氏郷自身は小田原征伐の論功行賞で会津若松に転封されたため、松阪城に居た期間はわずかでした。その後、城主は服部一忠(はっとり かずただ)古田重勝(ふるた しげかつ)と変わっていきますが、元和5年(1619年)に紀州徳川藩の飛び領となってからは、城主不在のまま、紀州藩の出先機関が置かれていました。そのためか、正保元年(1644年)に台風で天守閣が倒壊しても、再建されることはありませんでした。
 その後、明治維新を迎えて廃城となり、建築物はほぼすべて破却されてしまいました。明治14年(1881年)に城跡公園となり、現在に至ります。

<管理人の感想>
 門も城壁も櫓もきれいさっぱり取り壊されてしまっていますが、その代わりに石垣群は見事に残っていました。管理されているのか?と疑問に思ってしまう、謎の古びた檻(ミニ動物園?)が城の景観を損なっておりますが、それを除けば「城跡」としてよく整備されています。城は丘の上に築かれているため、高い所からは松阪の町並みがよく見え、眺めはいいです。天守閣あるいは櫓の上から見れば、もっとよく見えることでしょう。
 ちなみに、松阪出身の国学者・本居宣長の旧宅が、隠居丸に移築保存されております。

<交通情報>
・電車:JR「松阪」駅より徒歩15分

<付記>
・付近に御城番屋敷があります。こちらも合わせて見て行くといいと思います。

探検日:2005年2月20日
侍庵トップページへ戻る