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湊川神社

時代区分太平記分類区分神社寺院旧国名摂津
現在地兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目

関連人物

・楠木正成

関連事件

湊川の戦い

建武3年(1336年)。湊川にて、後醍醐天皇政権に対抗する足利尊氏らと天皇を守ろうとする楠木正成・新田義貞による激しい戦いが行われました。とりわけ楠木正成は寡兵ながらも尊氏率いる大軍相手に奮戦しましたが、ついには力尽きて自刃して果てたのでありました。この戦いに勝利した尊氏は再び京都に入り、新たに天皇を立てて北朝を作る一方で、後醍醐天皇は大和の国の南方、吉野に逃れて南朝を立てるのでありました。こうして、時代は南北朝動乱の時代へと移っていきました。

正成最期の地

楠木正成を祀る湊川神社の境内の中に、楠木正成とその一族・郎党が最期を遂げたと言われている土地があります。一般公開しているようではなく、柵と門で閉じられておりました。
楠木正成を大々的に褒め称えたのはおそらく、江戸時代の水戸徳川家当主・水戸光圀が最初でよう。光圀公は「大日本史」の編纂を始め、水戸学と呼ばれる学派が形成されていったのですが、特に楠木正成については「嗚呼、忠臣楠子」と、忠臣として讃えております。そのためか、水戸光圀公の銅像もありました。

湊川の戦いは、天皇側にとっては明らかに形勢不利な戦であり、正成は戦を回避することを主張したのですが受け入れられなかったとか。しかし、河内の土豪に過ぎなかった自分を頼って、大きな恩賞を授けてくれた天皇に対する義理を重んじ、勝ち目の無い戦であるにも関わらず勇敢に挑んでいったと言われております。

<交通手段>
・JR山陽本線「神戸」駅から徒歩5分ほど

湊川公園

「旧湊川址」と刻まれた石碑が残っている公園です。現在では普通の公園なのですが、ここには勇ましい楠木正成騎馬像が立っております。楠木正成の銅像というと、江戸城にも有名な銅像が立っておりますが、こちらの像も躍動感溢れる見事な騎馬武者であります。
楠木正成像
天にも昇るかのような馬。そして剣を挿した鍬形も見事であります。
やはり騎馬武者は華でありまする(^o^)

<交通手段>
・湊川神社より徒歩8分ほど。
・神戸電鉄「湊川」駅の上。
探検日:2003年8月22日
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