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日清戦争講和記念館

時代区分明治時代分類区分資料館旧国名長門
現在地山口県下関市阿弥陀寺町

関連人物

・伊藤博文 ・陸奥宗光 ・李鴻章

関連事件

下関条約

1894年の日清戦争は、近代日本が迎えた初めての大規模な対外戦争でした。その講和会議が開かれたのが、ここ下関だったことは中学校の歴史の授業でも出てくるほど有名です。講和会議は高級旅館・春帆楼(しゅんぷうろう:現在も旅館として機能しています。建物は改築されております。)行われ、その講和記念館が春帆楼の隣に建設されました。
記念館では主に会議で使用された調度品を展示しており、館内中央には会議の席の様子が再現されておりました。

講和記念館の建物です。

記念館の横にある伊藤博文(左)と
陸奥宗光(右)の胸像。

講和会議が始まったのは明治28年(1895年)3月20日。日本側は全権弁理大臣・伊藤博文(55歳)と外務大臣・陸奥宗光(52歳)ら、清国側は講和全権大臣・李鴻章りこうしょう:73歳)ら、両国合わせて11名が会議に臨みました。
ところが、24日の午後4時頃、李鴻章が宿舎の引接寺に帰る途中、凶漢に狙撃されて負傷するという事件が起こったため、会議は一時中断。4月10日に再開され、17日に調印となりました。

<交通手段>
・JR「下関」駅より徒歩30分ほど(普通はバスを使うと思います)
<開館情報>
・午前9時〜午後5時まで 入館無料・年中無休

探検日:2004年5月2日
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