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古戦場・史跡公園選択
時代区分 | 戦国時代 | 分類区分 | 古戦場 | 旧国名 | 尾張 |
現在地 | 愛知県豊明市栄町 | ||||
関連人物 | ・織田信長、今川義元ほか |
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関連事件 |
現在、桶狭間古戦場と考えられているのは二箇所ありますが、その一つの愛知県豊明市にある桶狭間古戦場公園は、昭和12年12月21日に文部省から国指定史跡に認定されております。
桶狭間古戦場公園の入口。現在はまさに「公園」となっている。
この場所が桶狭間古戦場とされていたのはいつからなのか?
豊明市教育委員会発行の案内によると、この地には古くから土盛の7つの塚があり、明和8年(1771年)にそれぞれの塚に碑が建てられたとのこと。この7つの塚は七石表と呼ばれており、一号碑は今川義元、二号碑(これは、公園内ではなく高徳院の境内にある)は松井宗信(遠江二俣城主)のもので、三号碑以下は誰のものなのかは不明。
これらの塚を建てたのは江戸時代の尾張藩士・人見弥右衛門らであるが、彼らがどのように考証して戦死の場所を決定したのかはあまりよくわかっていない。現代から見れば江戸時代もかなり昔の時代だが、それでも桶狭間の戦い(1560年)から211年も経っているのである。
この地より南東に位置する曹源寺(開山1505年)の和尚は、村人を指揮して死傷者を収容し、戦死者は戦人塚に葬り、部将の霊牌を本堂に安置して今日に至るまで代々の住職が供養しているという。
今川義元の墓。お祭りの前日だったためか、花が手向けられておりました
また、公園内には桶狭間合戦の大きな地図もあります。ここでは、迂回説で説明されておりました。
有名でありながらも、その戦闘の詳細は謎だらけの桶狭間の戦い。一度、自身の身で訪れ自身の目で見るのも一興かと思いまする。