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洗心洞

時代区分江戸時代分類区分その他旧国名河内
現在地大阪府大阪市北区天満

関連人物

・大塩平八郎

関連事件

大塩平八郎の乱

大塩平八郎の乱が起きたのは1837年(天保8年)。江戸時代後期の出来事でした。
乱が起きた場所は大阪(当時は大坂)。現在の地名でいうと、大阪城の北・天満のあたりで、都会の中心に近いところです。もちろん、乱が起きた当時も大坂は大都会でした。

洗心洞跡

洗心洞跡の石碑

洗心洞(せんしんどう)とは、文政8年(1825年)に大塩平八郎が開いた学塾の名前です。付近の造幣局の説明看板によると、講堂のみならず、一部の門弟のために寄宿舎も併設されていたとのこと。かなり大きな施設だったのかもしれません。
この場所で、実践的と言われている儒学の一派・陽明学が講じられていました。
現在この一帯は、造幣局の職員宿舎となっており、石碑が建っているのみです。

与力役宅門

与力役宅門

こちらは大坂東町奉行所配下の与力・中嶋家の役宅門。洗心洞の石碑の近くにあります。
造幣局の説明看板によると、当時この付近一帯は天満与力の役宅が軒を並べていたのですが、今でも存在しているのはこの建物のみ。
大正末期に現在の場所へ移築され、昭和23年に茶室として大幅に増改。しかし、老朽化が激しいため、改築されたそうです。
大塩平八郎の屋敷も、このような感じの門構えだったのでしょうか?

大塩の乱槐の跡

大塩の乱槐の跡

こちらは、造幣局の前の国道1号線にぽつんとたたずむ小さな石碑。
この場所に大塩の乱の砲弾で裂けた樹齢200年の木があったが、枯死してしまったので、新たに若木を植えて歴史の証人の生命を伝える。
昭和59年3月30日 建設省大阪国道工事事務所
という内容の文が刻まれております。
砲弾で裂けた木がどのような状態だったのかわかりませんが、かつては乱の傷跡がはっきりと残っていたのでしょう。

<交通手段>
・電車
最寄り駅は、JR環状線なら「桜ノ宮」あるいは「天満」駅。JR東西線なら「大阪天満宮」駅。京阪なら「天満橋」駅。
・車
それぞれの場所に観光客用の駐車場は用意されておりませんが、上記のものは全て徒歩で回れます。

探検日:2003年11月21日
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