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山中鹿之介の墓

時代区分戦国時代分類区分その他旧国名備中
現在地

岡山県高梁市落合町阿部 国道313号線沿い

市指定史跡

関連人物

・山中鹿之介


鹿之介の墓碑。一段高いところに建っている。

山中鹿之介と墓の由来
 山中鹿之介は戦国時代に活躍した武将の一人で、特に「忠臣」として知られています。天文14年(1545年)、現在の島根県に生まれました。当時、この地方を治めていた戦国大名は尼子氏。武勇に優れた鹿之介は、尼子氏に仕えて多くの武勲を挙げ「尼子十勇士」の一人に数えられたそうです。
 弱肉強食の戦国時代の中で、尼子氏は毛利氏と激しい戦いを繰り広げた結果、滅亡してしまいます。生き残った尼子氏の家来たちの多くは、新たな支配者である毛利氏に従いましたが、それをよしとしなかった鹿之介は、尼子氏一族の者を立て、お家再興のために毛利氏と戦い続ける道を選びました。その中で「我に七難八苦を与え給え」と三日月に祈ったという話が残っています。
 しかし、主家のために戦い続けた鹿之介は、播磨上月城の戦いに敗れて毛利氏に捕らえられます。そして備中松山城に護送される途中、この付近の阿井の渡場で不意討ちに遭い斬殺されました。

 現在の墓碑は、正徳3年(1713年)になってから、備中松山藩士の前田時棟が建立したものだそうです。

<管理人の感想>
 お墓ですが、お寺ではなく、国道と高梁川の間に建っています。誰かが手入れをしているようで、墓石は綺麗で花も添えられておりました。

<交通情報など>
・墓の隣にコンビニの駐車場があります。

探検日:2004年11月7日
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