安土城 築城開始

 室町幕府を滅ぼして始まった天正年間。長篠の戦いで武田家を破った織田信長(43歳)による天下布武は着々と進んでいました。そんな信長が、琵琶湖の畔の安土に新たな城を築き始めたのが天正4年(1576年)正月中旬頃。家臣の近江佐和山城主・丹羽長秀(42歳)に命じて普請が始まりました。それから一月ほど経った2月23日、信長は美濃の岐阜城から、まだ築城途中の安土城に移りました(まだ着工したばかりなのに引っ越してしまうとは、なんとも気の早い話ですね。)。というのも、信長は昨年11月に、織田家の家督、家宝、そして岐阜城を嫡男の織田信忠(20歳)に譲っていました。名目上、織田家の当主は織田信忠となりましたが、実質的には織田家の当主は信長のままと考えていいでしょう。信長は、安土築城が新たな覇道の出発点、と考えていたのかもしれません。
 この時はまだ仮殿が出来たくらいの完成度でしたが、安土に到着した信長は工事関係者の労をねぎらい、丹羽長秀には「珠光(じゅこう)茶碗(当時、名器と讃えられた茶器。名前から察するに、茶道の祖・村田珠光縁の茶器でしょう)」を与え、馬廻の直臣たちには、城下町に屋敷地を与えました(実際に築城が始まった現場を目にして、信長も上機嫌だったようです)
 4月1日、天主閣の築造が始まります。当時最先端の技術を注ぎ込み、天下人に相応しい名城の建築が始まりました。その後、天正5年(1577年)6月に安土城下町が楽市となり、天正7年(1579年)5月11日、ついに天主閣が完成します。


<参考>
・日本全史(講談社)

<関連史跡>
・幻の名城 「安土城」(滋賀県蒲生郡安土町)

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