×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。


戦国・安土桃山時代 年表
西暦
和暦
できごと
1467 応仁元年 <応仁の乱>〜1477年
将軍家の継嗣問題に管領家の家督争いが加わり、各地の守護大名が参戦する大乱となる。
東軍大将は細川勝元、西軍大将は山名宗全(持豊)。
1468 応仁2年 細川勝元が再び管領に就任。
1471 文明3年 古河公方・足利成氏と堀越公方・足利政知が戦う。
1473 文明5年 山名宗全没。
細川勝元没。
足利義尚が征夷大将軍となる。
1486 文明18年 扇谷上杉定正が太田道灌を殺害。
1488 長享2年 <加賀の国一向一揆>
一揆勢が加賀守護・富樫政親を敗死させる。以後、約100年もの間、国人・農民・僧侶が寄合で政治を行う。
1493 明応2年 細川政元が足利政知の子・政澄を擁立して挙兵。
北条早雲(伊勢宗瑞)が堀越公方を滅ぼし、伊豆を支配下に収める。
1495 明応4年 北条早雲が小田原城を奪取。
1517 永正14年 今川氏親が遠江を合併。
1526 大永6年 氏親が今川仮名目録を制定。
1536 天文5年 伊達稙宗が塵芥集を制定。
1541 天文10年

1月・吉田郡山城を包囲中の尼子晴久が敗れ、撤退する。
武田晴信(後の武田信玄)が父・信虎を追放し甲斐の主となる。

1542 天文11年 斎藤道三が主君の土岐氏を追放し、美濃の主となる。
1543 天文12年

8月・種子島にポルトガル船が漂着。鉄砲が伝わる。

1546 天文15年 北条氏康が(扇谷)上杉朝定、(山内)上杉憲政を破る。朝定は戦死し、扇谷上杉家は滅亡。
1549 天文18年

7月・イエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルが薩摩に上陸(キリスト教伝来)
11月・松平竹千代(後の徳川家康)が今川家の人質となる。

1550 天文19年

5月4日・前将軍の足利義晴没
8月・フランシスコ・ザビエルが平戸に上陸

1551 天文20年

3月・織田信秀が病死し、信長が家督を継ぐ
4月・ザビエルが周防山口での布教を許可される
9月1日・大内義隆が家臣の陶隆房(晴賢)に襲撃されて自刃
10月24日・ザビエルが豊後からインドへ出港。大友宗麟はザビエルにインド総督への手紙を託す

1555 天文24年
弘治元年

2月・相良晴広が「相良氏法度」を制定。
4月・織田信長が清洲城を奪う。
5月・王直率いる倭寇が朝鮮を襲撃。 (達梁の変)
7月・武田信玄と長尾景虎による第二次川中島合戦
10月1日・厳島の戦いで、毛利元就が陶晴賢を破る。
10月23日・年号を「弘治」に改元

1560 永禄3年

5月・桶狭間の戦い
8月・長尾景虎が関東管領上杉憲政を奉じて上野に出陣。
9月・関白近衛前久が越後へ向けて京を出発。
10月・三好長慶が飯盛山城、高屋城を攻撃。
12月・尼子晴久急死。尼子家は子の義久が継ぐ。

1561 永禄4年 長尾景虎が上杉憲政より関東管領を譲られ、上杉の名跡を継ぎ、上杉政虎と改名。
川中島の戦いで、武田信玄と上杉政虎が激戦を繰り広げる。
1567 永禄10年

2月・三好義継が三好三人衆と不和になり、松永久秀を頼る。
4月18日・六角義賢、義治親子が六角氏式目を制定。
8月15日・織田信長が斎藤龍興を破り美濃を獲得。稲葉山城を岐阜城と改名。
10月・織田信長が岐阜城下の加納を楽市とする。
10月10日・松永久秀が東大寺で三好三人衆を破る。東大寺は炎上。

1568 永禄11年

2月8日・足利義栄が14代将軍となる。
4月15日・足利義秋が一乗谷で元服し、名を義昭と改める。
7月25日・織田信長が美濃立政寺に足利義昭を迎える。
9月・織田信長が足利義昭を奉じて上洛。
10月2日・織田信長が堺と石山本願寺に矢銭を要求。
10月18日・足利義昭が15代将軍となる。
12月・武田信玄、徳川家康が駿河攻撃を開始。

1570 元亀元年 姉川の戦いで織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍を破る。
石山戦争が始まる。
1571 元亀2年

5月・織田信長が伊勢長島一向一揆討伐に出陣するが敗れる。
6月・毛利元就病没
9月・織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちする。
10月・北条氏康病没

1572 元亀3年

1月・本願顕如が、武田信玄に織田信長の背後を攻撃するよう、依頼する。
閏1月・織田信長配下の明智光秀が近江坂本城を築く。
5月・島津義弘が日向木崎原で伊東義佑を破る。
6月・越中の一向一揆が上杉勢を破る。
8月・上杉謙信が一向一揆平定のため越中滝山城を攻略する。
10月・武田信玄が遠江に進軍
12月・三方が原の戦いで武田信玄が徳川家康を破る。

1573 元亀4年
天正元年

4月7日・足利義昭と織田信長が対立するが、勅命により和解。
4月12日・武田信玄が信濃駒場で病没?
7月18日・足利義昭が再度挙兵するが、失敗して京都を追放される。 (室町幕府の滅亡
7月28日・年号を「天正」に改元。
8月10日・上杉謙信が越中一向一揆を平定。
8月20日・朝倉義景が織田信長に敗れて自刃。 (朝倉氏の滅亡)
8月27日・浅井長政が織田信長に敗れて自刃。 (浅井氏の滅亡)
9月・徳川家康が武田家の長篠城を攻略。
11月・織田家の佐久間信盛が若江城の三好義継を攻め滅ぼす。
12月・松永久秀が織田信長に降伏し、多聞城を明け渡す。

1575 天正3年

4月21日・武田勝頼が徳川家の長篠城を攻囲する。
5月・長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田勝頼を破る。
8月・織田信長が越前の一向一揆を鎮圧する。
8月・長宗我部元親が阿波海部城を攻略する。

1576 天正4年

2月23日・織田信長が、安土城築城を開始。岐阜城から仮の御殿に移る。
4月14日・本願寺顕如が石山本願寺に戻って再挙兵。
5月・上杉謙信が本願寺顕如と和睦。
7月13日・毛利家の水軍が織田家の水軍を木津川河口で破る。
10月20日・関白の近衛前久が島津家と相良家の和睦を仲介。
11月17日・上杉謙信が能登七尾城を攻囲する。

1577 天正5年

2月13日・畠山貞政が織田家から離反して雑賀衆とともに挙兵。
6月・織田信長が安土を楽市とする。
7月・北条氏政が結城晴朝を攻撃する。晴朝は北条氏に従属。
閏7月8日・上杉謙信が越中国魚津に出陣。
9月15日・上杉謙信が能登七尾城を攻略する。
9月23日・上杉謙信が手取川の戦いで柴田勝家ら織田勢を破る。
10月10日・松永久秀が織田信長に反旗を翻して敗れる。
11月20日・織田信長が右大臣に任命される。
12月3日・羽柴秀吉が赤松政範の上月城を攻略。

1578 天正6年

3月13日・上杉謙信が春日山城にて急逝。
3月24日・上杉景勝が春日山城に入って家督相続を宣言する。 (御館の乱の始まり)
5月13日・上杉景虎が御館に拠って上杉景勝に対抗する。
7月3日・上月城の尼子勝久が毛利軍に攻め滅ぼされる。
9月29日・北条氏政が世田谷新宿を楽市とする。
10月17日・荒木村重が織田家から離反し、本願寺顕如と結ぶ。
11月6日・織田家の九鬼嘉隆ら率いる水軍が、毛利水軍を木津川河口で破る。
11月12日・島津義久が高城、耳川の戦いで大友宗麟を破る。 (耳川の戦い
11月16日・高槻城主の高山右近が荒木村重から離反し、織田家に降伏する。

1579 天正7年

3月17日・上杉景勝が御館を攻略する。
3月24日・上杉景勝が上杉景虎が立て籠もる鮫ヶ尾城を攻め落とす。 (御館の乱の終結)
5月11日・安土城天主閣が完成。
6月13日・竹中半兵衛が病により陣中で没す。
7月16日・徳川信康と築山殿の武田家内通疑惑により、織田信長が切腹を命じる。
9月2日・織田軍に包囲された荒木村重が有岡城を脱出して尼崎城に移る。

1580 天正8年

1月17日・羽柴秀吉が三木城を兵糧攻めで落す。城主の別所長治は自刃。
閏3月5日・勅命により、織田信長と本願寺顕如が講和を結ぶ。 (石山戦争の終結)
8月2日・織田信長が筒井順慶に大和国内諸城の破却を命じる。
8月15日・織田信長が職務怠慢を理由に、家臣の佐久間信盛を追放する。
10月7日・大友義統が毛利家に内通した田原親貫を鞍懸城に攻め、自刃させる。

1581 天正9年

2月28日・織田信長が御所郊外で馬揃えを行う。
3月9日・上杉景勝が織田家の佐々成政を小出城に攻める。
3月22日・徳川家康が武田家に属する高天神城を攻略する。
6月25日・羽柴秀吉が毛利家に属する鳥取城を兵糧攻めにする。
9月11日・織田信長が伊賀を平定する。
10月25日・鳥取城が羽柴秀吉の兵糧攻めにより落城。城主の吉川経家は自刃。
12月2日・相良義陽が阿蘇家の甲斐宗運に敗れて敗死。
12月24日・武田勝頼が韮崎の新府城に移る。

1582 天正10年

1月・天正少年遣欧使節が派遣される。
3月・織田信長が、天目山の戦いで武田氏を滅ぼす。
5月・羽柴秀吉が備中高松城を水攻めにする。
6月2日・本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれる。
6月13日・山崎の戦いで羽柴秀吉が明智光秀を討つ。
6月27日・清洲城にて、信長の後継者を孫の三法師と決定する。
8月・長宗我部元親が阿波に侵入し、中富川で十河存保を破る。
10月・秀吉が大徳寺で信長の葬儀を行う。
12月・秀吉が岐阜城の神戸信孝を包囲して和睦する。

1583 天正11年

4月21日・賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉軍が柴田勝家軍を破る。
4月24日・羽柴秀吉が北ノ庄城を攻略。柴田勝家とお市の方は自刃。
9月1日・羽柴秀吉が大坂城築城を開始する。

1584 天正12年

3月6日・織田信雄が羽柴秀吉と断交し、徳川家康と結ぶ。
3月24日・龍造寺隆信が島津・有馬連合軍との戦いに敗れて戦死。 (沖田畷の戦い)
4月9日・小牧・長久手の戦いで、徳川軍が羽柴軍を破る。
10月6日・黒川城主の芦名盛隆が家臣の大庭三左衛門に殺害される。
11月15日・羽柴秀吉と織田信雄が桑名で会見し、講和を結ぶ。
12月25日・富山城主の佐々成政が浜松城の徳川家康を訪問し、羽柴秀吉との戦い継続を訴える。

1585 天正13年

3月21日・羽柴秀吉が雑賀衆、根来衆を攻撃し、紀伊を平定する。
7月11日・羽柴秀吉が関白に就任し、姓を藤原に改める。
8月6日・長宗我部元親が羽柴秀長の遠征軍に降伏する。
8月20日・佐々成政が秀吉に降伏する。
10月8日・畠山義継の伊達輝宗誘拐事件が起こる。

1586 天正14年

4月2日・大友宗麟が大坂城の秀吉を訪問し、島津討伐を要請する。
5月14日・徳川家康が秀吉の妹の旭姫を正室に迎える。
7月26日・島津家が大友家の岩屋城を攻略。城主の高橋紹運は自刃。
10月18日・秀吉生母の大政所が人質として徳川家の岡崎城に入る。
10月27日・徳川家康が大坂城で秀吉に臣従を誓う。
12月19日・秀吉が太政大臣に任じられ、豊臣の姓を授けられる。

1587 天正15年

3月1日・豊臣秀吉が島津討伐のために大坂城を出陣。
5月3日・島津義久が豊臣家に降伏する。
5月23日・大友宗麟が病没。
5月30日・豊臣秀吉が肥後を佐々成政に与える。
6月19日・豊臣秀吉がキリシタン禁教令を出す。
8月15日・肥後で国人一揆が起こる。

1588 天正16年

閏5月14日・豊臣秀吉が佐々成政を自刃させる。
7月8日・豊臣秀吉が刀狩令、海賊禁止令を出す。

1589 天正17年

5月27日・豊臣秀吉の側室、淀君が鶴松を出産する。
6月5日・伊達政宗が摺上原の戦いで芦名義広を破る。
7月4日・豊臣秀吉が伊達政宗討伐を命じる。
8月17日・伊達政宗が豊臣秀吉に使者を派遣し、会津攻略について弁明する。
11月24日・豊臣秀吉が北条氏直に宣戦布告状を送り、諸大名に出陣を命じる。

1590 天正18年

3月1日・豊臣秀吉が、小田原征伐のために京都を出陣。
4月4日・豊臣軍が小田原城を包囲する。
6月14日・豊臣軍が北条家の鉢形城を攻略する。
7月5日・北条氏政、氏直親子が小田原城を開いて降伏する。 (豊臣秀吉の天下統一
11月7日・聚楽第で朝鮮通信使と秀吉が会見。

1591 天正19年

1月22日・羽柴秀長病没。
2月28日・千利休が自刃。
6月・・・李氏朝鮮と対馬の宗義智との交渉が決裂。
9月4日・蒲生氏郷ら豊臣軍が九戸政実の乱を鎮圧する。
10月10日・豊臣秀吉が名護屋城の築城を命じる。
12月27日・豊臣秀吉が羽柴秀次に関白を譲る。

1592 天正20年
文禄元年

1月5日・秀吉、諸大名に出陣令を出す。
4月13日・小西行長ら先鋒軍が釜山に上陸。 (文禄の役の始まり)
5月1日・朝鮮王が首都・漢城を放棄して平壌に逃亡。
5月3日・小西行長、加藤清正らが漢城に入城。
6月2日・秀吉が名護屋城から朝鮮に渡海しようとするが、徳川家康、前田利家らに止められる。
6月15日・小西行長、黒田長政らが平壌を占領。
7月7日・脇坂安治らの日本水軍が、李舜臣の朝鮮水軍と戦って敗れる。
7月23日・加藤清正が会寧で朝鮮の2王子を捕らえる。
8月30日・平壌で明の沈惟敬と小西行長が50日間の休戦を約束。
12月8日・年号を「文禄」に改元

1593 文禄2年

1月7日・小西行長らが平壌から撤退。
4月18日・宇喜田秀家、石田三成らが明使の講和受け入れを認める。
5月1日・大友義統が黄海道鳳山城を捨てて逃走したことを秀吉に責められ、豊後の領地を没収される。
5月15日・石田三成、小西行長らが明使・謝用梓、徐一貫を伴って名護屋城に到着。
6月28日・秀吉が明使に和議7ヶ条を提示。
8月3日・淀君が秀頼を出産。
11月29日・秀吉が島津義弘らに工芸に優れた朝鮮人捕虜を京都に送るように指示を出す。

1594 文禄3年

1月16日・秀吉、朝鮮在陣諸将の交代と目付の派遣、兵糧運搬を命じる。
9月29日・福島正則、島津義弘らが朝鮮軍を巨済島で破る。
12月13日・小西行長の使者・内藤如安が北京で明帝と会見。修好を約束する。

1595 文禄4年

1月30日・明の冊封使・李宗城、楊方亨らが北京を出発。
2月7日・会津領主の蒲生氏郷が京都で死去。子の秀行が後を継ぐ。
7月15日・秀吉、福島正則らを高野山に派遣し、秀次に切腹を命じる。
11月21日・李宗城が釜山の小西行長の陣に到着。

1596 文禄5年
慶長元年

4月2日・冊封使の李宗城が小西行長の陣から出奔する。
9月1日・冊封日本正使・楊方亨、副使・沈惟敬が大阪城で秀吉と会見。
9月2日・和議の真相を知った秀吉が激怒し、朝鮮再出兵を決める。
10月27日・年号を「慶長」に改元

1597 慶長2年

2月21日・朝鮮出陣武将の部署を決定。 (慶長の役の始まり)
5月8日・明の楊元が3000の兵を率いて漢城に到着。
8月13日・宇喜田秀家らが楊元が守る全羅道南原城を攻略。
8月28日・足利義昭没す。
9月16日・来島通総が全羅道で李舜臣に敗れて戦死。
9月28日・秀吉が鼻塚を築いて施餓鬼を行う。
12月22日・明軍が浅野幸長らが守る慶尚道蔚山城を攻囲。

1598 慶長3年

1月4日・明軍が蔚山城の囲みを解いて撤退。加藤清正、立花宗茂らが追撃。
8月15日・豊臣秀吉、大坂城にて没す。
8月28日・徳川家康、前田利家が徳永寿昌、宮木豊盛を朝鮮に派遣し、出陣武将の召還を指示。
11月10日・明、朝鮮軍が小西行長らの退路を封鎖する。
11月18日・島津義弘が南海道で李舜臣と戦う。李舜臣戦死。

1599 慶長4年

1月5日・秀吉の死を公表。
1月10日・秀吉の遺命により、豊臣秀頼が伏見城から大坂城に移る。
閏3月3日・前田利家没す。
閏3月4日・石田三成が福島正則らの襲撃計画を知り、伏見城の徳川家康を頼る。
4月17日・豊臣秀吉が「豊国大明神」の神号を授かる。
7月・島津義弘が高野山に朝鮮陣供養碑を建立

1600 慶長5年 <関が原の戦い>
徳川家康率いる東軍が、石田三成率いる西軍を破る。
以後、家康が実質的に政権を握る。

侍庵トップページへ戻る
平安時代へ
源平合戦へ
鎌倉時代へ
室町・南北朝時代へ
江戸時代へ
幕末へ
明治時代へ