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侍歴史 年表

武士のおこりはいつなのか?はっきりと決めることは難しいですが、こちらでは平将門の乱を、武士が表舞台に登場した最初の事件として、侍たちの年表を作成しました。

源平合戦へ 鎌倉時代へ 室町・南北朝時代へ 戦国時代へ 江戸時代へ 幕末へ 明治時代へ


平安時代 年表
西暦
和暦
できごと
935 承平5年

2月・野本付近の戦いで平将門が伯父の平国香らを破る。 (平将門の乱の始まり)
10月・川曲村の戦いで平将門が叔父の平良正を破る。

936 承平6年

6月・紀淑人が伊予守兼追捕南海道使に任じられ、藤原純友ら海賊を帰順させる。
7月・下野国府付近の戦いで平将門が平貞盛らを破る。

937 承平7年

8月・子飼渡の戦いで平良兼が平将門を破る。
9月・服織の戦いで平将門が平良兼を破る。
11月・富士山噴火
12月・岩井の戦いで平将門が平良兼を破る。

938 天慶元年

2月
・信濃千曲川で平将門が平貞盛を破る。
・興世王、源経基と武蔵武芝の紛争を平将門が調停。

939 天慶2年

3月・源経基が上京して平将門らの謀反を訴える。
11月・平将門が常陸国府を襲撃し印鎰を奪う。
12月
平将門が上野国府を襲撃。新皇を自称する。
21日・朝廷が藤原純友の逮捕と召喚を命じる。
26日・藤原純友一党が摂津で備前介藤原子高を襲う。 (藤原純友の乱の始まり)

940 天慶3年

1月・藤原忠文が征東大将軍に任命される。
2月
平貞盛、藤原秀郷らが平将門を討つ。 (平将門の乱の終結)
・藤原純友が淡路を襲撃。朝廷が純友に従五位下を授ける。
4月・藤原秀郷が平将門の首を朝廷に献上する。
6月・朝廷が藤原純友一党の追討令を出す。
8月・藤原純友が伊予、讃岐を襲撃し、備前、備後の兵船を焼く。
10月・藤原純友が大宰府の追捕使を破る。
11月・藤原純友が周防の鋳銭司を焼く。

941 天慶4年

5月
19日・藤原忠文が征西大将軍に任命される。
20日・藤原純友が大宰府を襲撃するが、小野好古に敗れる。
6月・藤原純友が伊予国日振島で討たれる。 (藤原純友の乱の終結)

969 安和2年 源満仲が藤原千晴(秀郷の子)らによる為平親王擁立の謀を密告。
千晴らは流罪、満仲は正五位下に任官される。 <安和の変>
1019 寛仁3年

3月・刀伊の入寇

1028 長元元年 平忠常の乱
1031 長元4年 源頼信が戦わずして平忠常を降伏させる。源氏の関東進出の足がかりとなる
1050 永承5年

安倍氏が鬼切部の戦いで藤原登任・平重成の連合軍を破る

1051 永承6年 源頼義が陸奥守となる
1055 天喜3年 阿久利河付近で源頼義の配下が何者かに襲撃される
1056 天喜4年

8月・安倍頼時追討の宣旨が出される
12月・源頼義が陸奥守に重任される。

1057 天喜5年

夏・安倍頼時が戦死
11月・黄海の戦いで源頼義が安倍貞任に大敗

1062 康平5年

春・高階経重が陸奥守として赴任するが、源頼義に追い返される
7月・出羽の清原武則が源頼義に加勢する
9月・源頼義らが安倍貞任らが籠もる厨川柵を攻略。安倍氏は滅亡する

1083 永保3年 清原氏に内紛が生じる。源義家は藤原清衡を助けて介入。
<後三年の役開始>〜1087年
1086 応徳3年 白河上皇が院で政務を執り始める。
この頃、北面の武士が設置される。
<院政の始まり>
1087 寛治元年 源義家らが清原家衡らを破る。
奥州藤原氏の東北支配が始まる。
1098 承徳2年 源義家が武士で初めて院の昇殿を許可される。
1107 嘉承2年 源義親(義家の子)が出雲で反乱を起こす。
<源義親の乱>〜1108年
1108 嘉承3年
天仁元年
平正盛が源義親を討つ。
源平2氏が、延暦寺、園城寺僧徒の入京を阻止。
1129 大治4年 平忠盛が瀬戸内海の海賊を討伐する。
1132 長承元年 平忠盛、昇殿を許可される。
1146 久安2年 平清盛、安芸守に任命される。
1154 久寿元年 源為義、子の為朝の乱行が原因で右衛門尉を解任される。

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