1192 | 建久3年 |
3月・後白河法皇病没 |
1193 | 建久4年 |
5月・富士野の狩りで、曽我兄弟が仇討ち |
1198 | 建久9年 | 2月・源頼朝が平維盛の子・六代を殺害 |
1199 | 正治元年 |
1月・源頼朝病没 源頼家が鎌倉殿を継ぐ |
1200 | 正治2年 | 1月・梶原景時が清見関で討たれる |
1202 | 建仁2年 | 7月・源頼家が従二位に叙せられ、征夷大将軍に任命される |
1203 | 建仁3年 |
5月・阿野全成が謀反の容疑で捕らえられ、常陸へ流される |
1204 | 元久元年 | 7月・源頼家が修禅寺にて殺害される |
1205 | 元久2年 |
6月・畠山重忠が反乱の嫌疑をかけられて北条時政らに討たれる |
1212 | 建暦2年 | 3月・鴨長明が「方丈記」を著す |
1213 | 建保元年 |
5月・北条義時が侍所別当の和田義盛を討ち、侍所別当を兼任する (和田合戦) |
1215 | 建保3年 | 1月・北条時政病没 |
1219 | 承久元年 |
1月・源実朝が頼家の遺児、公暁に暗殺される |
1220 | 承久2年 | |
1221 | 承久3年 |
5月・承久の乱 |
1224 | 元仁元年 | 6月・北条義時が没し、政子が泰時・時房を将軍後見とする |
1225 | 嘉禄元年 |
7月・北条政子没 |
1226 | 嘉禄2年 | 1月・藤原頼経が征夷大将軍となる (摂家将軍の始まり) |
1232 | 寛喜4年 貞永元年 |
4月2日・年号を「貞永」に改元 |
1246 | 寛元4年 | 3月・北条時頼が執権となる |
1247 | 宝治元年 | 6月・宝治合戦 |
1249 | 建長元年 | 12月・引付衆を設置 |
1252 | 建長4年 | 2月・将軍を藤原頼嗣から宗尊親王に代える 以後、皇族将軍(宮将軍、親王将軍ともいう)と呼ばれる |
1256 | 康元元年 | 11月・北条時頼が最明寺に出家し、北条長時が第6代執権となる |
1263 | 弘長3年 | 11月・北条時頼病没 |
1266 | 文永3年 | 7月・北条時宗が将軍宗尊親王を廃し、惟康親王を後継とする |
1268 | 文永5年 | |
1271 | 文永8年 | 8月・蒙古が国号を「元」と定める |
1272 | 文永9年 | 2月・北条時宗が名越時章、北条時輔らを殺害 (二月騒動) |
1274 | 文永11年 | |
1275 | 文永12年 |
2月・異国警固番役の制を定める |
1276 | 建治2年 | 3月10日・博多湾沿岸で石塁(石築地)構築が始まる |
1279 | 弘安2年 |
2月・元が南宋を滅ぼし、中国全域を支配下に置く |
1281 | 弘安4年 |
5月・対馬、壱岐、博多が再び元軍の襲来を受ける (弘安の役の始まり) |
1284 | 弘安7年 | 4月・北条時宗病没 |
1285 | 弘安8年 | 11月・平頼綱が安達泰盛の一族を滅ぼす (霜月騒動) |
1293 | 永仁元年 |
3月・鎮西探題が設置される |
1297 | 永仁5年 | 3月・永仁の徳政令が出される |
1317 |
正和6年 |
2月3日・年号を「文保」に改元 |
1318 | 文保2年 | 3月29日・後醍醐天皇が即位 |
1321 |
元応3年 |
2月23日・年号を「元亨」に改元 |
1322 | 元亨2年 | |
1324 | 元亨4年 |
8月10日・阿蘇山が噴火 |
1325 | 正中2年 |
6月6日・幕府が蝦夷代官の安東季長を罷免し、安東宗季を任命 |
1331 |
元徳3年 |
5月5日・日野俊基、文観、円観らが幕府に捕らえられる |
1332 | 元弘2年 |
1月21日・桜山茲俊が吉備津宮に放火して自刃 |
1333 |
正慶2年 |
1月21日・播磨苔縄城で赤松則村が討幕の挙兵 |