承久2年(1220年)、慈円(じえん:66歳)が歴史書「愚管抄(ぐかんしょう)」を完成させた。慈円は藤原忠通の子であり、摂政関白を務めた九条兼実の弟である。比叡山延暦寺の最高職に4度も就いた高僧中の高僧であり、和歌にも優れていたという。
「愚管抄」は、神武天皇から順徳天皇までの歴史を叙述したもの。歴史は「道理」によって展開すると説き、末法思想の影響も色濃く受けている。特徴的なことは、保元の乱以後は武者の世となり、武士、さらには鎌倉幕府の存在は無視できないと強調されていることである。これは、当時討幕を画策していた後鳥羽上皇に対する抗議の意志の現れである、と考えられている。
書名の「愚管抄」とは、「愚かな管(筆)のすさび」という意味。
なお、成立については翌年の承久の乱以後だとする説もある。
<参考書>
・新日本史B(桐原書店)
・日本史史料集(駿台文庫)
・日本全史(講談社)
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