1603 | 慶長8年 | <江戸幕府の成立> |
1604 | 慶長9年 | 8月・豊国社臨時祭が開催される |
1605 | 慶長10年 | 家康、将軍職を秀忠に譲る。 |
1612 | 慶長17年 | 幕領(直轄領)に禁教令を出す。 |
1613 | 慶長18年 | 伊達政宗が支倉常長をヨーロッパに派遣。 |
1614 | 慶長19年 |
1月18日・山形藩主の最上義光、没す。 |
1615 | 慶長20年 元和元年 |
1月11日・徳川家康が国友村に鉄砲を発注。 |
1616 | 元和2年 | 4月17日・徳川家康が駿府城にて没す。 |
1619 | 元和5年 | 福島正則、武家諸法度に違反したとして改易される。 |
1620 | 元和6年 | 秀忠の娘・和子が入内。 |
1623 | 元和9年 | 徳川家光が将軍となる。 |
1630 | 寛永7年 | 山田長政がシャムで殺害される。 |
1635 | 寛永12年 | 日本人の海外渡航・帰国を全面禁止。 |
1637 | 寛永14年 | 10月25日・島原の乱勃発 |
1638 | 寛永15年 | 2月28日・原城が陥落し島原の乱は鎮圧される |
1649 | 慶安2年 | 慶安のお触書が出される。 |
1651 | 慶安4年 | <由井小雪の乱(慶安の変)> |
1671 | 寛文11年 | 幕府、仙台藩の伊達騒動を裁断。 |
1675 | 延宝3年 | 伊奈忠易が小笠原諸島を探検。 |
1680 | 延宝8年 | |
1681 | 天和元年 | |
1683 | 天和3年 | |
1684 | 貞享元年 | |
1685 | 貞享2年 | |
1688 | 元禄元年 | |
1701 | 元禄14年 |
<浅野内匠頭刃傷事件> |
1702 | 元禄15年 |
<赤穂浪士の討ち入り> |
1704 | 宝永元年 | |
1709 | 宝永6年 | |
1716 | 享保元年 | 徳川吉宗が将軍となり享保の改革をすすめる。 |
1717 | 享保2年 | 大岡忠相を町奉行に登用。 |
1721 | 享保6年 | 目安箱を設置。 |
1722 | 享保7年 | 上米の制を設ける代わりに、参勤交代を緩和。 |
1723 | 享保8年 | 足高の制を出す。 |
1739 | 元文4年 | 青木昆陽を登用。 |
1742 | 寛保2年 | 公事方御定書を出す。 |
1767 | 明和4年 | 田沼意次が将軍・徳川家治の側用人となる。 |
1772 | 安永元年 | 意次が老中となる。 |
1783 | 天明3年 | 大黒屋光太夫らがアリューシャン諸島に漂着。 |
1784 | 天明4年 | 田沼意知(意次の子)が殺害される。 |
1786 | 天明6年 |
意次が失脚。 |
1787 | 天明7年 | 松平定信が老中となり、寛政の改革をすすめる。 |
1792 | 寛政4年 | ロシアのラクスマンが大黒屋光太夫を伴って根室に来航。 |
1793 | 寛政5年 | 松平定信が老中退任。 |
1799 | 寛政11年 | 高田屋嘉兵衛が択捉航路を開拓。 |
1800 | 寛政12年 | 伊能忠敬が蝦夷地の測量を開始。翌年から全国の測量開始。 |
1808 | 文化5年 | 間宮林蔵・松田伝十郎が樺太を探査。 |
1809 | 文化6年 | 間宮林蔵が間宮海峡を発見。 |
1811 | 文化8年 |
<ゴロウーニン事件>〜1813年 |
1812 | 文化9年 | 高田屋嘉兵衛が国後島沖でロシア艦に捕らえられる。 |
1813 | 文化10年 | 高田屋嘉兵衛とゴロウーニンを交換。ゴロウーニン事件に決着。 |
1823 | 文政6年 | ドイツ人医師・シーボルトが長崎に来航。 |
1825 | 文政8年 | 異国船打払令が出される。 |
1828 | 文政11年 |
<シーボルト事件> |
1834 | 天保5年 | 水野忠邦が老中となる。 |
1837 | 天保8年 | 2月19日・大塩平八郎の乱が起こる |
1841 | 天保12年 |
徳川斉昭が大砲を鋳造。 |
1843 | 天保14年 |
閏9月・忠邦、老中を免職。 |
1847 | 弘化4年 | 徳川慶喜が一橋家を相続。 |
1850 | 嘉永3年 | 井伊直弼が彦根藩主となる |
1851 | 嘉永4年 | 中浜万次郎(ジョン万次郎)がアメリカから帰国。琉球に上陸。 |