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室町・南北朝時代 年表
西暦
和暦
できごと
1334

元弘4年
建武元年

1月12日・朝廷が大内裏造営計画を発表
1月29日・年号を「建武」に改元
3月9日・北条氏の残党が鎌倉を襲うが失敗
8月・二条河原に新政批判の落書が掲げられる

1335 建武2年

1月12日・北条氏の残党が長門佐加利山で挙兵
2月22日・北条氏の残党が伊予で挙兵
6月22日・西園寺公宗と日野氏光が謀叛を企てた罪で捕縛される
7月14日・諏訪頼重らが北条時行を擁して挙兵 (中先代の乱の始まり)
7月25日・北条時行が足利直義を破って鎌倉に入る
8月19日・足利尊氏が北条時行を破って鎌倉を奪回 (中先代の乱の終結)
10月15日・足利尊氏が帰京命令に従わず、鎌倉に留まる
11月26日・朝廷が足利高氏・直義の官位を剥奪
12月11日・箱根・竹ノ下の戦いで、足利軍が新田軍を破る

1336

(南)
延元元年
(北)
建武3年

1月・足利尊氏が京都に入り、北畠顕家らと攻防戦を繰り広げる
2月11日・新田義貞が摂津国豊島河原で足利軍を破り、尊氏らは西へ敗走する
3月2日・筑前国多々良浜の戦いで、足利軍が菊池軍を破る
5月25日・湊川の戦いで足利軍が新田・楠木軍を破る
6月14日・足利尊氏が光厳上皇を奉じて京都に入京
8月15日・足利尊氏の奏請により、光明天皇が即位
10月10日・後醍醐天皇が帰京
11月7日・足利尊氏が建武式目を定める
12月21日・後醍醐天皇が吉野に逃れる (南北朝の分裂)

1337

(南)
延元2年
(北)
建武4年

1月8日・北畠顕家が義良親王を奉じて陸奥霊山城に拠る
3月6日・新田義貞らが立て籠もる越前金ヶ崎城が陥落
8月11日・北畠顕家が義良親王を奉じて西上に出発
12月23日・北畠顕家軍が鎌倉に入る

1338

(南)
延元3年
(北)
建武5年
暦応元年

1月28日・北畠顕家が美濃国青野原の戦いで敗れる
5月22日・和泉国石津の戦いで、北畠顕家戦死
閏7月2日・越前国灯明寺畷の戦いで、新田義貞戦死
8月11日・北朝が足利尊氏を征夷大将軍に任命する
8月28日・北朝が年号を「暦応」に改元

1339 延元4年
暦応2年
後醍醐天皇没
尊氏、天竜寺を建立
1347 正平2年
貞和3年

8月10日・楠木正行が挙兵し、紀伊国隅田城を攻める

1348 正平3年
貞和4年

1月5日・四条畷の戦いで、楠木正行自刃
1月28日・高師直の軍勢が吉野に攻め込み、南朝は賀名生に後退

1350 正平5年
観応元年
<観応の擾乱>〜1352年
幕府内部の対立が激化。尊氏・直義兄弟で抗争が始まる。
足利直冬(尊氏の子で直義の養子)が直義側で挙兵。
1351 正平6年
観応2年
尊氏・直義が和睦。高師直が殺害される。
尊氏、南朝に降伏。
1352 正平7年
文和元年
尊氏、直義を鎌倉で毒殺。
1358 正平13年
延文3年
尊氏没。足利義詮が征夷大将軍となる。
1359 正平14年
延文4年
筑後川の戦いで、南朝方の菊池氏が勝利。
1361 正平16年
康安1年
南朝方が京都を回復するが、間もなく足利義詮が京都を奪還。
1363 正平18年
貞治2年
南朝方の山名時氏が幕府に帰順。
1368 正平23年
応安元年
足利義満が征夷大将軍となる。
1369 正平24年
応安2年
南朝方の楠木正儀が北朝に降る。
1371 建徳2年
応安4年
今川了俊(貞世)が九州探題に就任。征西将軍府を攻撃して九州を制圧。
1378 天授4年
永和4年
義満、室町新邸(花の御所)に移る。
1390 元中7年
明徳元年
義満、土岐氏の勢力を削減する。
<土岐康行の乱>
1391 元中8年
明徳2年
<明徳の乱>
義満、山名氏の家督争いに介入。山名氏清敗死。
1392 元中9年
明徳3年
<南北朝合体>
義満、南北朝を統一する。
1394 応永元年 義満、将軍職を義持に譲り、太政大臣となる。
1399 応永6年 <応永の乱>
大内義弘が幕府に対して反乱を起こすが、義満はこれを鎮圧。義弘敗死。
1400 応永7年 今川了俊が義満の討伐を受けて降伏。
1408 応永15年 義満没。
1409 応永16年 足利持氏が関東公方を継承。
1416 応永23年 <上杉禅秀の乱>〜1417年
上杉禅秀(氏憲)が持氏と争うが敗れて自刃。
1419 応永26年 <応永の外寇>
李氏朝鮮が対馬を襲撃。九州探題がこれを撃退する。
1438 永享10年 <永享の乱>〜1439年
持氏が関東管領・上杉憲実、将軍・足利義教と抗争を始める。持氏は敗れて自刃。
1440 永享12年 <結城合戦>〜1441年
結城氏朝が持氏の3人の遺児を迎えて幕府軍と戦ったが敗北。
1441 嘉吉元年 <嘉吉の乱>
赤松満祐が将軍・義教を殺害。満祐も幕府軍に攻められて自刃。
1450 宝徳2年 長尾景仲・上杉房顕が関東公方・足利成氏を攻撃。
1452 享徳元年 細川勝元が管領に就任。
1454 享徳3年 <享徳の乱>
成氏が関東管領・上杉憲忠を謀殺。関東争乱の始まりとなる。
畠山義就・政長が家督争いを起こす。
1455 康正元年 上杉房顕が足利成氏を再度攻撃。
成氏は下総古河に敗走(古河公方の始まり)。
1457 長禄元年 太田道灌が江戸城を築城。
将軍・足利義政が弟の政知を伊豆堀越に派遣(堀越公方の始まり)。
1464 寛正5年 畠山政長が管領に就任。
義政の弟・義尋が還俗して義視と改名。
1465 寛正6年 義政の正室・日野富子が義尚を出産。
1466 文正元年 斯波義廉・義敏が家督争いを起こす。

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