1334 |
元弘4年 |
1月12日・朝廷が大内裏造営計画を発表 |
1335 | 建武2年 |
1月12日・北条氏の残党が長門佐加利山で挙兵 |
1336 |
(南) |
1月・足利尊氏が京都に入り、北畠顕家らと攻防戦を繰り広げる |
1337 |
(南) |
1月8日・北畠顕家が義良親王を奉じて陸奥霊山城に拠る |
1338 |
(南) |
1月28日・北畠顕家が美濃国青野原の戦いで敗れる |
1339 | 延元4年 暦応2年 |
後醍醐天皇没 尊氏、天竜寺を建立 |
1347 | 正平2年 貞和3年 |
8月10日・楠木正行が挙兵し、紀伊国隅田城を攻める |
1348 | 正平3年 貞和4年 |
1月5日・四条畷の戦いで、楠木正行自刃 |
1350 | 正平5年 観応元年 |
<観応の擾乱>〜1352年 幕府内部の対立が激化。尊氏・直義兄弟で抗争が始まる。 足利直冬(尊氏の子で直義の養子)が直義側で挙兵。 |
1351 | 正平6年 観応2年 |
尊氏・直義が和睦。高師直が殺害される。 尊氏、南朝に降伏。 |
1352 | 正平7年 文和元年 |
尊氏、直義を鎌倉で毒殺。 |
1358 | 正平13年 延文3年 |
尊氏没。足利義詮が征夷大将軍となる。 |
1359 | 正平14年 延文4年 |
筑後川の戦いで、南朝方の菊池氏が勝利。 |
1361 | 正平16年 康安1年 |
南朝方が京都を回復するが、間もなく足利義詮が京都を奪還。 |
1363 | 正平18年 貞治2年 |
南朝方の山名時氏が幕府に帰順。 |
1368 | 正平23年 応安元年 |
足利義満が征夷大将軍となる。 |
1369 | 正平24年 応安2年 |
南朝方の楠木正儀が北朝に降る。 |
1371 | 建徳2年 応安4年 |
今川了俊(貞世)が九州探題に就任。征西将軍府を攻撃して九州を制圧。 |
1378 | 天授4年 永和4年 |
義満、室町新邸(花の御所)に移る。 |
1390 | 元中7年 明徳元年 |
義満、土岐氏の勢力を削減する。 <土岐康行の乱> |
1391 | 元中8年 明徳2年 |
<明徳の乱> 義満、山名氏の家督争いに介入。山名氏清敗死。 |
1392 | 元中9年 明徳3年 |
<南北朝合体> 義満、南北朝を統一する。 |
1394 | 応永元年 | 義満、将軍職を義持に譲り、太政大臣となる。 |
1399 | 応永6年 | <応永の乱> 大内義弘が幕府に対して反乱を起こすが、義満はこれを鎮圧。義弘敗死。 |
1400 | 応永7年 | 今川了俊が義満の討伐を受けて降伏。 |
1408 | 応永15年 | 義満没。 |
1409 | 応永16年 | 足利持氏が関東公方を継承。 |
1416 | 応永23年 | <上杉禅秀の乱>〜1417年 上杉禅秀(氏憲)が持氏と争うが敗れて自刃。 |
1419 | 応永26年 | <応永の外寇> 李氏朝鮮が対馬を襲撃。九州探題がこれを撃退する。 |
1438 | 永享10年 | <永享の乱>〜1439年 持氏が関東管領・上杉憲実、将軍・足利義教と抗争を始める。持氏は敗れて自刃。 |
1440 | 永享12年 | <結城合戦>〜1441年 結城氏朝が持氏の3人の遺児を迎えて幕府軍と戦ったが敗北。 |
1441 | 嘉吉元年 | <嘉吉の乱> 赤松満祐が将軍・義教を殺害。満祐も幕府軍に攻められて自刃。 |
1450 | 宝徳2年 | 長尾景仲・上杉房顕が関東公方・足利成氏を攻撃。 |
1452 | 享徳元年 | 細川勝元が管領に就任。 |
1454 | 享徳3年 | <享徳の乱> 成氏が関東管領・上杉憲忠を謀殺。関東争乱の始まりとなる。 畠山義就・政長が家督争いを起こす。 |
1455 | 康正元年 | 上杉房顕が足利成氏を再度攻撃。 成氏は下総古河に敗走(古河公方の始まり)。 |
1457 | 長禄元年 | 太田道灌が江戸城を築城。 将軍・足利義政が弟の政知を伊豆堀越に派遣(堀越公方の始まり)。 |
1464 | 寛正5年 | 畠山政長が管領に就任。 義政の弟・義尋が還俗して義視と改名。 |
1465 | 寛正6年 | 義政の正室・日野富子が義尚を出産。 |
1466 | 文正元年 | 斯波義廉・義敏が家督争いを起こす。 |