慶長9年(1604年)8月12日〜18日にかけて、豊国社臨時祭が開催された。豊国社は豊臣秀吉を祀っており、今年は秀吉の7回忌に相当するため、京都の町衆を中心に盛大に催された。100人1組で編成された踊り子は、紅色の着物に花笠姿。手には造花を持って、太鼓や笛の演奏に合わせて踊り歩いたという。また、大黒や毘沙門天、南蛮人に扮装した仮装行列も祭りに花を添え、祭りで賑わう人々は内裏にまで入り込んだという。その盛況ぶりは「豊国祭礼図屏風」に描かれている。
今回の豊国祭は、亡き秀吉を偲ぶというよりは、秀吉贔屓・徳川批判の京都町衆のエネルギーが噴出したものではないか、という見方がある。昨年には徳川家康が征夷大将軍に就任し、徳川政権による統制が始まろうとしていた頃であった。当初の豊国祭には朝廷から勅使が派遣され、諸大名もこぞって寄進をしたというが、今回は諸大名も徳川家への気兼ねから寄進を見合わせるなど、積極的に参加しなかった。
家康は、踊りに女歌舞伎の影響が強く現れているため、風俗上好ましくないとして、以後、豊国祭での踊りを禁止したという。
<参考>
・日本全史(講談社)
・豊国神社説明書き
<関連史跡>
・「豊国神社」(京都府京都市東山区)
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