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豊国神社

時代区分織豊・戦国時代分類区分神社寺院旧国名山城
現在地京都府京都市東山区大和大路通正面茶屋町530

伏見城移築(?)唐門(国宝)

関連人物

・豊臣秀吉

関連事件

豊国大明神
豊国社臨時祭
豊国社破却


伏見城の移築と伝えらている唐門(国宝指定)

豊国神社の歴史
 慶長3年(1598年)8月18日、伏見城にて息を引き取った豊臣秀吉を祭神として、翌慶長4年に造営 されたのが、「豊国社」でした。天下人であった秀吉は、朝廷から正一位の神階と「豊国大明神」の御神号を賜りました。「神」に列せられたわけです。それだけの由緒の神社であるため、社領は1万石、境内は30万坪に及ぶという、一般の神社を遥かに凌ぐ荘厳華麗な神社だったそうです。
 毎年4月と8月には「豊国祭」が開催され、北政所はじめ豊臣家や諸大名の寄進が集まるわ、朝廷からは勅使が派遣されるわで、並々ならぬ繁栄ぶりだったそうです。特に、秀吉7回忌にあたる慶長9年の「豊国大明神臨時祭」の華やかさは色々な記録に残されています。
 しかし、大坂の陣で豊臣家が滅んだ後は、徳川家康によって廃祀され、社殿も取り壊し。江戸時代にはすっかり廃れてしまったそうです。明治元年(1868年)に明治天皇によって再興されることが決まり、明治6年に「別格官弊社」に列せられ、明治13年には方向寺大仏殿跡地に社殿が造営されました。現在では「ホウコクさん」と呼ばれ「出世開運」の神様として崇められているそうです。

<管理人の感想>
 西向きの入口から入ると、大きくて豪華な唐門がすぐに目に入ります。国宝指定されているだけあって、さすがに立派でした。いや、立派すぎてそればかり見ていたような気がします(^_^;) ここのすぐそばに方向寺の鐘もあり、朝鮮出兵の時の耳塚もあります。お立ち寄りの際は、この二つも一緒に見ておくとちょうどいいと思います。
 秀吉関連の史跡はたいてい「出世」をうたっていますよね(例:長浜城は「出世城」)。なので、拙者もお祈りしておきました。願ったのは、出世だけではありませぬが・・・

<交通情報など>
・JR東海道本線「京都」駅より徒歩20分ほど。

探検日:2004年11月27日
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