平家納経

概要

長寛2年(1164年)9月、平清盛(47歳)と嫡男の平重盛(27歳)ら平家一門32人が自ら書写した経典32巻と一族の発展を願った願文が、厳島神社に奉納された。これらの経典は「平家納経へいけのうきょう)」と呼ばれ、現在でも厳島神社に所蔵されている。各巻の表紙と見返しには極彩色の大和絵が描かれており、平安末期の絵画・工芸の傑作に数えられている。


清盛の厳島神社信仰

清盛はじめ、平氏一門は平治の乱で勝利を収めて、その勢力を大きく飛躍させた頃から、盛んに厳島神社を信仰するようになった。1167年(仁安2年)に太政大臣に昇進した後、厳島神社に参詣して自ら書写した般若心経を奉納するなど、たびたび厳島神社に奉納を行っている。
この厳島神社信仰のきっかけは、夢のお告げであったらしい。1153年に、清盛は落雷で焼失した高野山大塔の造営を命じられた。大塔は1155年に完成し、清盛はその年に50日間ほど高野山に滞在していたことがあった。その時、夢に弘法大師が現れ、厳島神社を信仰すれば一門が繁栄すると伝えられた。そこで厳島神社を厚く敬ったところ、保元平治の乱に勝利することができたため、1160年にはみずから参詣し平家納経の準備をすることになったという。
よく考えてみると、神社に仏教の経典を奉納するというのは妙な話である。しかしこの頃は神仏習合が進行中であったため、平家納経が実施される運びとなったのである。

<参考>
・新日本史B(桐原書店)
・新詳日本史図説(浜島書店)
・日本全史(講談社)


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