午前11時頃。既に赤穂城大手門からは音楽隊パレードが出発している一方で、拙者ら47人は歴代赤穂浅野藩主と四十七士の墓がある
拙者らは本堂の前に整列したのですが、拙者の位置からでは前で何が行われているのかよくわかりませんでした(^^;)。
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ここで、拙者の後ろの
花岳寺での法要を終えた拙者らは、次の式典が行われる大石神社に向かったのでした。
パレードが行進している大手門の脇を通り抜けて、塩屋門から大石神社に入りました。
「あれはけっこう面白いでござる(^o^)」
「この前の「その時歴史が動いた」で忠臣蔵やってましたよね。」
「見ました!感動的なお話でござった(感涙)。」
などなど、忠臣蔵関連の話に花を咲かせました。
しかし、残念なことに笑えない話もありもうした。岡野殿は拙者と同様に市外からの参加。吉田殿は、本来は市外からの方のはずだったのですが、当日本人が来ないというハプニングが・・(ーー;)。吉田殿は緊急で代役となったそうです。なんでも、友人が冗談で自分の名前を使って応募したとかどうとか・・・。少しも笑えない冗談なのでもう二度としないでいただきたい。
上の写真のように、境内は人でいっぱいでござった。
(写真提供:松永弾正殿)
大群集の中を本殿にむかって進む時に,群集の中に多聞城茶会の松永弾正殿を発見。
拙者「おお,弾正殿!おひさしぶりでござる。」
弾正殿「電車もすごい混みようで,『赤穂義士祭り』っていう名前の臨時列車が出てましたよ〜」
これは次の日の新聞で見たのですが,この日の人出はなんと13万人!やはり,300周年という効果は大きかったようでござる。
拙者らは今年新築されたばかりの本殿の中へ。初めて入った本殿はまことに立派なものでありました。
(写真提供:松永弾正殿) |
(写真提供:松永弾正殿) |
拙者は右側の一番後ろの腰掛けに座るはずだったのでござるが・・・す,座れない(汗)。
腰掛けのすぐ後ろが壁になっていたのであります。普段なら問題なく座れるのですが,
今回は腰に刀を差しているのでござる。刀が邪魔になって座れませんでした。
これから約1時間の間,拙者と他数名の義士は立ちっぱなしで式典の進行を見届けることになったのでござる。
拙者から見た本殿奥の様子。 |
時は正午を少し回った頃。朝ご飯をあまり食べていなかった拙者は少々空腹だったのでござるが、神主さん達により討ち入り300周年式典が始まりました。