2003年 NHK大河ドラマの主人公・宮本武蔵がその晩年に著した兵法書「五輪書」を題材に、宮本武蔵の武士道を紹介いたしまする。
兵法の道、二天一流と号し数年鍛錬の事、 |
私の兵法の道を「二天一流」と号し、数年鍛錬してきたことを初めて書物に著そうと思い、寛永20年(1643年)10月上旬の頃、九州肥後は岩戸山に登り、天を拝んで観音に礼拝し仏前に向かって、生国播磨の武士、新免武蔵守藤原玄信、歳はつもって60。
私は若い頃から兵法の道を歩み、13歳のときに初めて勝負をした。その相手は新当流の有間喜兵衛という武芸者に勝ち、16歳の時に但馬の国の秋山という力の強い者に打ち勝った。21歳の時に都に上り、天下の武芸者に会い数度の勝負をしたが、勝利を得なかったということはなかった。その後、諸国を回り様々な流儀の武芸者に会って60余回も勝負を行ったが、一度も不覚をとらなかった。それは13歳から29歳の間のことである。
30を越えて自分の足跡を振り返ってみると、兵法を極めていたから勝ったのではない。生まれつき兵法に才能があって天の理にかなっていたためか、それとも他の兵法が不十分なのか。その後さらに深い道理を掴もうとして朝鍛夕錬してみたところ、自然と兵法の道を体得したのは50歳の頃だった。それ以来、極める芸もないまま時を過ごした。兵法で諸芸諸能の道を学んだので、あらゆることにおいて私に師匠はいない。今、この書を書くといっても、仏法・儒教・道教の言葉は借りず、軍記軍法の故事も使わず、この二天一流の考え方とその本当の意味を、天道と観世音を鏡として10月10日の夜、寅の一てん(午前4時30分)に筆を執って書き始めたのである。
地の巻の冒頭では、やや自慢げな自己紹介・五輪書執筆に至った経緯が記されている。生涯60余の決闘を行い、一度たりとも敗れなかったというエピソードもこの部分に記されている。このページの目的は武蔵の足跡を探ることではないので、このあたりは簡単に紹介するにとどめる。ちなみに、一時期話題になった「武蔵の生誕地はどこか?」については、「生国播磨の武士」と記されている。しかし、播磨のどこなのかまでは書いていない。冒頭部分だけを読むと、自惚れたお爺さんが、疑わしい自慢話を書き始めるのかと思う人もいるかもしれないが、ついでにその先も読んでほしい。冒頭部分があながち伊達ではないことが、きっと理解できるだろう。
<冒頭続き>
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兵法とは武家のおきてである。大将たる者は特にこの法を実践し、兵卒もこの法を知るべきである。今の世の中に、兵法の道を確実にわきまえているという武士はいない。まず、その道をあらわしてあるのは、仏法では人を助ける道があり、儒道(儒者)には学問の道を正す道があり、医者にはあらゆる病を治す道があり、あるいは歌人は和歌を教える道、あるいは数寄物(茶人)・弓道家その他様々な芸能者までも思い思いに稽古し、心に任せてたしなんでいる人はいる。が、兵法の道をたしなむ人はまれである。まず、武士は『文武二道(文武両道と同義)』といって、二つの道をたしなむこと、これが武士の道である。(文武両道の)道に不器用であるとしても、武士たる者は己の分際(ぶんざい:能力)に相応するぐらいには、兵法を鍛錬するべきである。だいたい武士の信念を考えてみると、武士は普段からいかに立派に死ぬかというように思われているようだ。が、死ぬという道は武士に限ったものではない。出家(僧?)、女、百姓にいたるまで、義理を知り、恥を思い、死場所を決めることに差はないのである。武士が歩む兵法の道とは、何事においても人より優れることが本(根本)であり、一対一の斬りあいに勝ち、数人との戦いに勝ち、主君のため、自分のため名をあげようと思うことである。これが兵法の功徳である。また、世の中には兵法を習っても実際の役には立たないとう考えもあるだろう。それについては、何時でも役に立つように稽古して、何事にも役立つように教えること。これこそ兵法の真の道なのである。
五輪書の第一巻「地の巻」の最初の方で、武士が心がけなければならないことを説いている。武蔵というと「無敵の二刀流剣豪」というイメージが強いが、その一方で彼は優れた水墨画も残しており、その分野の文化人としてもかなりの業績を残しているらしい。現代で言うならば、武士は「武道(スポーツなど運動も含む)」を鍛錬するだけではダメ、勉強もしなければならない、といったところだろうか。
そうはいっても、文武両道の道を実践するのは難しい事で、一部の人間にしかできないものだ、と思う人もいるだろう。しかし、不器用であったとしても、自分の能力にふさわしい力をつけるように、鍛錬するべきである、と書いている。武士は、才能を言い訳にして鍛錬を怠ってはならないのである。一生懸命に努力することを、武蔵は最初の心構えとして記述した。この基本的な精神は現代でも十分通用するものだと思われる。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という有名な言葉がある。これは江戸時代の武士が書いた「葉隠」という書物に出てくる言葉である。ここはこの言葉に込められた真意を考えるページではないので、紹介するだけにとどめるが、「潔く死ぬことこそ武士の道である」というのは、昔も現代でも一般的に認識されていたようである。しかし、武蔵はこのことについては否定的な見方をしている。「死ぬという道は武士に限ったものではない」のである。この文の続きでは「出家(お坊さんのこと?)、女、百姓に至るまで、義理を知り、恥を思い、死場所を決めるのに差はないものだ」と書いている。つまり「死」は武士の専売特許ではないのである。武士道とは死ぬことではない、というなら武士道とは何なのか。武蔵は「どんなことでも、人より優れていることが根本である」と書いている。また、この続きには「平和な時代に武術など習っても意味がないし、出世の役には立たないと思うこともあるが、いつでも役立つような稽古をして、いろいろなことに際して役立つように教えることこそ、兵法の実の道である」と書いている。兵法はただの鍛錬ではなく、実際に役に立つような稽古をして実践することなのだ、というのである。武蔵の言う武士道とは、戦いに限らず何事においても、主君のため、自分のために勝つことが第一であり、勝利を得るために役立つ手段が、武蔵の言う兵法なのだろう。この実践主義的な教えを第一としている武道は、他にはあまりないのではないだろうか。
興味深いことに、武蔵は自分が説く武士道を大工に例えて説明している。
<兵法の道、大工にたとへたる事>
大将は大工の統領として天下のかねをわきまへ、其国のかねを糺し、其家のかねを知る事、統領の道也。大工の統領は堂塔伽藍のすみがねを覚え宮殿楼閣のさしづを知り、人々をつかひ家を取立つる事、大工の統領も武家の統領も同じ事也。家を立つるに木くばりをする事、直にして節もなく見つきのよきをおもての柱とし、少しふしありとも直にしてつよきをうらの柱とし、たとひ少しよわくともふしなき木のみざまよきをば、敷居、鴨居、戸障子とそれぞれにつかひ、ふしありともゆがみたりともつよき木をば、其家のつよみつよみを見わけてよく吟味してつかふにおいては、其家 |
士卒たるものは大工にして、手づから其道具をとぎ、色々のせめ道具をこしらへ、大工の箱に入れて持ち、統領云付くる所をうけ、柱がようりょうをもてうのにてけづり、とこ、たなをもかんなにてけづり、すかし物、ほり物をもして、よくかねを糺し、すみゝゝめんどう迄も手ぎはよくしたつる所、大工の法也。大工のわざ、手にかけて能くしおぼえ、すみがねをよくしれば、後は頭領となる物也。大工のたしなみ、よくきるる道具を持ち、透々にとぐ事肝要也。其道具をとつて、みづし、書棚、机卓、又はあんどん、まないた、鍋のふた迄も達者にする所、大工の専也。士卒たるもの、このごとく也。 |
「兵法の道」とは何かを記した後は、より具体的に「大工の道」に例えて解説している。大将は大工の頭領のようなもので、全体を把握して人を使うことを、兵卒は頭領の指示に従い、自分の道具を常によく磨いて小物までも立派にしあげることを、責務としている。「おのれおのれが分際程は兵の法をば、つとむべき事なり」と前述したのと同様に、大工は自分の仕事道具を常に使える状態にしておくのと同じように、武士も常に研鑽して、自分の仕事(たとえ小さな仕事でも)を立派に果たすことが大切だというのである。
ちなみに、五輪書が書かれてから200年以上後に、海外で同じような例えが使われている有名な小説が書かれた。イギリスの名探偵「シャーロック・ホームズ」である。シャーロック・ホームズシリーズの第一作は「緋色の研究」という長編で、助手として有名なワトソンとホームズが出会い、二人で挑んだ最初の事件の話である。この話の中で、ホームズはワトソンにこういう内容のことを言っている。
「人間の頭脳というものは、元来空っぽの屋根裏部屋みたいなもので、好きな道具だけしまっておくようにできている。平凡な人は役に立たないガラクタも詰め込んでしまって、役に立つ知識は押し出されてしまうか、他のものとごちゃまぜになってどこにあるのかわからなくなってしまう。しかし、熟練した職人は頭脳の屋根裏部屋に何を詰め込むかに細心の注意を払う。自分の仕事に役立つ道具しか入れず、大きな仕分けをつけて、もっとも完全な形に整備しておくのである。」
筆者のコナン・ドイルが五輪書を読んでいたかどうかはわからないが、実によく似た例えであり、優れた仕事をこなす人間の特徴を的確にとらえていると思う。
戦武具の利をわきまゆるに、いづれの道具にてもをりにふれ時にしたがひ、出合ふもの也。・・(中略)・・道具以下にも、かたわけてすく事あるべからず。あまりたる事はたらぬと同じ事也。人まねをせず共、我身に随ひ、武道具は手にあふやうに有るべし。将卒共に物にすき、物をきらふ事悪しし。工夫肝要也。 |
武具の利点を考えてみると、どの武器でも折にふれ状況にしたがって利用するものである。・・(中略)・・道具についても、偏って好むことがあってはならない。必要以上に持ちすぎることは、足りないことと同じである。人まねをしなくても、自分の身にしたがって、武具は手に合うようにするべきである。大将・士卒ともに、好き嫌いがあってはならない。工夫が肝要である。
右一流の兵法の道、朝なゝゝ夕なゝゝ勤めおこなふによりて、おのづら広き心になつて、多分一分の兵法として世に伝ふる所、初而書顕はす事、地水火風空、是五巻也。我兵法を学ばんと思ふ人は道をおこなふ法あり。 |
右の一流の兵法の道を朝に夕に鍛錬することで、自然と広い心になって、多人数対多人数、一対一の兵法として後世に伝えることを初めて書き表したのが、地水火風空の五巻である。兵法を学ぼうと思う人には、兵法を学ぶ掟がある。
第一 実直な正しい道を思うこと
第二 鍛錬すること
第三 様々な芸にふれること
第四 様々な職能を知ること
第五 物事の損得を知ること
第六 様々な事を見分ける力を養うこと
第七 目に見えないところを悟ること
第八 ちょっとしたことにも気をつけること
第九 役に立たないことはしないこと
だいたいこのようなことを心がけて、兵法の道を鍛錬すべきである。この道に限っては、広い視野に立って真実を見極めなければ兵法の達人にはなりがたい。これを会得すれば、一人でも20、30の敵にも負けないのである。まず、気持ちに兵法を忘れず、正しく一生懸命鍛錬すれば、まず手でも人に勝ち、見る目においても人に勝つことができる。鍛錬の結果、体が自由自在になれば体でも人に勝ち、この道に心が慣れれば心でも人に勝つことができるのである。兵法を学んでこの境地にたどりついた時は、すべてにおいて人に負けることはありえない。また、集団の兵法では、有能な人を仲間に持つことで勝り、多くの人数を使うことに勝り、わが身を正すことで勝ち、国を治めることでも勝ち、民を養うことでも勝ち、世の秩序を保つことができる。何事においても人に負けないことを知って、身を助け名誉を守ることこそ、兵法の道である。
地の巻の最後には、兵法を学ぶ上での掟を説明している。第一については、よく聞く基本的なことである。第二も鍛錬するのは当然の心構えだろう。第三、四、六については、前述されているように武士は文武両道であるべきなので、重要なことである。第五の「物事の損得を知ること」についてはよくわからないが、第九「役に立たないことはしないこと」とほぼ同義なのだろうか?様々なことに、ふれて見て知って・・ということは大切だが、何もかもをめくら滅法にやるのではなく、得なこと、言い換えれば、役に立つこと、をやれと言っているように思われる。
第七、八は鋭い意見だが、これを心がけるのはかなり難しいと思われる。目に見えないことを信じること、その存在を知るということは、簡単ではない。目に見えないということは、そのものの存在をはっきりと確認できないということであり、はっきりと確認できないものを信じるのは危険なことである。しかし、目に見えるものだけが真実ではない。目に見えないことを悟るというのは、大切なことだろう。「ちょっとしたことにも気をつける」というが、ちょっとしたことには気付きにくいし、気付いたとしても見過ごしてしまうのが大半だろう。しかし、こういう「ちょっとしたこと」が重要なことの一端を表しているということは、よくあることである。この辺の武蔵の指摘は鋭い。
そして、最後は兵法の道を会得することができれば、あらゆる面で人に勝つことができる、と武蔵はおおげさではないかと思うぐらいに力説している。
以上、地の巻の概要を記してきたが、ここからわかることは、武蔵の兵法とは「勝つ」ことが最終目標なのである。忠誠や孝行という内容の言葉はほとんど出てこない。意外だと思うかもしれないが、武蔵が歩んできた人生を考えれば、そんなに不思議なものでもないと思われる。武蔵の前半生は、戦国時代が終わりを告げ、江戸時代という安定期に入る頃に流行した武者修行の人生だった。武者修行というといい響きがするが、実際には商人や富裕農民の用心棒などの仕事を請け負い、武術の腕をみがきながら仕官先を求める浪人者がほとんどだったと言われている。こういう浪人者が仕官のくちにありつくためには、実力はもちろん、自分の強さを誇る宣伝が必要だった。有名無名、数多くの決闘も行われたようだが、これの一番の目的は勝利で得られる名声である。しかし、この武者修行は死と背中合わせの道であった。決闘で敗れるということは、死を意味していた。死までいたらなくても、重傷を負ったことで武芸をあきらめねばならない体になることもあっただろう。武蔵が歩んだ前半生は、そういう世界であった。目的のためには、何よりも勝たなければならなかったのである。実際、五輪書にの冒頭には、上記のように60余度の決闘で一度も不覚をとらなかったことを誇らしく書いているのである。
このように考えると、武蔵が説く兵法は武芸者としての道であり、一般に思われている武士道とはちょっと違うもののようにも思えるが、そんなことはない。そもそも、侍・武士の本分は「戦うこと」であった。平安時代から、武蔵が生きた戦国時代の終わりまで、侍は戦うことを職業とする「戦士」としての役割が大きかったのである。戦士として戦に出る以上、目標は当然「勝つこと」である。戦で勝つことが、侍の仕事であった。これと同様に、武蔵が行ってきた数々の決闘のほとんどは、命を賭けた真剣勝負だったと思われる。負けることは、己の死を意味するのである。そういう修羅場を潜り抜け、戦うことに徹してきた武蔵にとって、勝つことに力点が置かれるのは自然なことであり、それと同時に武蔵の人生は強い侍の姿の一面そのものであったと思われる。勝つことだけが侍の全てではないと思うが、武蔵の武士道は、侍の戦士としての心構えを的確に捉え、現代でも通用する理を見出しているのではないだろうか。
これだけ勝つことにこだわると、勝つためなら卑怯なことでも何をしてもよい、と思うかもしれない。しかし、それはちと早とちりではないだろうか。勝つこと以外に強調されていることに「自分自身を守ること」「主君のために勝つこと」が記されていた。つまり、どんなに忠誠心を抱き、世のため人のため、と励んでいたとしても、負けてしまっては意味が無い。だからこそ、勝たねばならない、と言っているのではないだろうか。命のやりとりを何度も交わしてきた武蔵らしい人生訓だと思う。
以下、水・火・風・空と勝利を掴むための武蔵の教えは続くが、武士道についての話は、この地の巻にほぼ集約されている。
「侍心得」として扱う内容は以上であるが、勝利のための武蔵の教えを、いくつか紹介していく。この中には、侍の心得として重要なこともいくつか含まれていることもあり、その内容は実に興味深い。
五つの道をわかち、一まき々々にして其利を知らしめんが為に、地水火風空として五巻に書顕はすなり。 |
五つの道を分類して一巻一巻にして、その利を知らしめるために「地水火風空」の五巻として著したのである。
第一 地の巻
兵法の道の概要、二天一流の考え方を説いている。剣術だけでは真の剣の道を会得することは難しい。大きいところから小さいところを知り、浅いところから深いところに至る。真っ直ぐな道を地面に描くという意味で、最初を「地の巻」と名づけた。
第二 水の巻
水を手本として心を水にするのである。水は角・円という器の形に従って形を変え、一滴にもなり、大海ともなる。水には青々とすんだ色がある。その清らかなところを使って、我が一流のことをこの巻に書き表したのである。剣術一般の理を確かに見分け、一人の敵に自在に勝つときは、世界中の人に勝つことができる。一人に勝つという心構えは、千万の敵に対しても同じである。大将たるもの兵法は、小さいものを大きいものにすることは、一尺の型によって大仏を建てることと同じである。このようなことは細かく書き分けるのは難しい。一を知って万を知ることが兵法の道理である。我が一流のことは、この水の巻に書き記す。
第三 火の巻
この巻に戦いのことを書き記す。火は大きくも小さくもなる、きわだった勢いを持っているので、合戦の事を書く。合戦の道は、一対一の戦いも万人と万人の戦も同じである。心を大きくしたり注意をはらったりしてよく吟味して読むべきである。大きいところは見えやすいが、小さいところは見えにくい。というのは多人数の時にはすぐには通用しない。一人のことは、自分の心一つで変わるのが早いので、小さいところはかえってわかりにくい。よくよく吟味すべきである。この火の巻の内容は一瞬のことなので、毎日習熟して、いつものことと思って、心が変わらないようにすることが、兵法では肝要である。そういうわけで、戦い勝負のことを「火の巻」に書き表す。
第四 風の巻
この巻を風の巻としたのは、我が一流のことではなく、世間の兵法のことを書いたものである。風というのは、昔風、今風、家風などのように世間の兵法の技を確かに書き表す、これが風の巻である。他の事をよく知らなければ、自分のことをわきまえるのは難しい。何事をするにも外道ということがある。日々、この道に励むといっても、心が背いていては、自分ではよいと思っていても、正しいところから見れば真の道ではない。真の道をわきまえないと最初は少しの歪みでも後になると格別のものになってしまう。よく吟味すべきである。世間の兵法は剣術のことばかりだと思われているが、もっともなことである。世間の兵法を知らしめるために、風の巻として他流のことを書き表す。
第五 空の巻
この巻を空ということは、何が奥義とで、何が初歩でもない。道理を会得しては離れ、兵法の道に自然と自由があって、自然と人並みすぐれた技量を持ち、時が来れば拍子を知り、自然と敵を打ち、自然と相対する。これが空の道である。自然と真実の道に入ることを空の巻として、書きとどめる。
物毎につけ拍子は有るものなれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也。世の中の拍子あらはれて有る事、乱舞の道、れい人管弦の拍子など、是みなよくあふ所のろくなる拍子なり。武芸の道にわたつて、弓を射、鉄炮を放ち、馬に乗る事迄も、拍子調子はあり。 |
どんなものでも拍子はあるものであるが、特に兵法の拍子は鍛錬しなければ身につかない。世の中の拍子で、人の目で見ることができるのは、「乱舞(舞か?)」の道である。伶人(れいじん:楽器の演奏者。特に、雅楽の演奏者を指す。)の管弦の拍子など、これらはみな拍子が合うことで、正しくなる拍子である。武芸の道では、弓を射ること、鉄砲を撃つこと、馬に乗ることにまで拍子がある。
・・(中略)・・
あらゆる道において、拍子の相違はあるものである。栄える拍子、衰える拍子など、よくよく分別すべきである。兵法の拍子でも様々ある。まず、合う拍子を知って違う拍子が何なのかをわきまえ、大小遅速の拍子の中にも、合った拍子があることを知り、間の拍子を知り、背く拍子をわきまえるのが、兵法の第一とすべきことである。特に、背く拍子をわきまえなければ、兵法は確固としたものにはならないのである。戦では敵の拍子を知り、敵の想像もつかない拍子をもって、空の拍子を知恵の拍子から出して勝つのである。どの巻にも、もっぱら拍子のことを書き記す。その書付を吟味して鍛錬すべきである。
武蔵が言うには、世の中には色々な事に「拍子」がある。特に、目で見えるのが舞であり、楽器演奏だと言うのである。つまり、「拍子」とは、現代語で言うと「リズム・調子」のようなものだろうか。武蔵の武士道の第一「勝つ事」には、この「拍子」をわきまえ、自在に操れることが目指すところの一つになっている。具体的な例は後に個々に表現されている。
<参考図書>