史跡探検記表紙 > 場所で探す > 山口県選択
古戦場選択

壇ノ浦

時代区分源平合戦
幕末
分類区分古戦場旧国名長門
現在地山口県下関市壇ノ浦町

関連人物

・平家一門

関連事件

壇ノ浦の戦い
四国艦隊下関砲撃事件

壇ノ浦は、栄華を誇った平氏が名実共に歴史の表舞台から消え去った「壇ノ浦の戦い」が行われた場所です。沿岸公園からは関門橋がすぐそばに見えます。関門橋の歩行者用地下道の入口も、この公園のすぐそばです。
関門海峡は本当に狭い「海峡」で、した。この日は視界のよくない曇天でしたが、対岸の様子はよくわかるほどです。

こちらは公園内にある青銅砲のレプリカです。
この砲が使用されたのは壇ノ浦の戦いではなく
およそ700年後の幕末の時でした。
激しく攘夷を唱える長州藩が
この海峡を通る外国船を砲撃した時のものです。

ちなみに幕末長州藩は、下関に幾つかの砲台を築いておりました。壇ノ浦の砲台もその一つです。1864年(元治元年)の四国艦隊下関砲撃事件で長州藩は敗れ、砲台は戦利品として外国に持ち運ばれたり海中に廃棄されました。
説明書きによると、この青銅砲はフランスの軍事博物館に保管されているところを日本人作家が発見し、外務大臣がフランス政府と交渉して「貸与」という形で下関に帰ってきました。これを下関東ロータリークラブが創立20周年記念事業として、フランス政府の了解を得て、原寸大かつ精密に模造し、下関市に寄贈したとのこと。
この砲は、天保15年(1844年)萩藩(長州本藩)の鋳砲家・郡司喜平治信安の手によるもの、だそうです。

<交通手段>
・JR「下関」駅より徒歩40分ほど(ただし、バスなどを使った方がいいでしょう。)

探検日:2004年5月2日
侍庵トップページへ戻る