改税約書

<概要>

慶応3年(1866年)5月13日。幕府はイギリス・アメリカ・フランス・オランダの4国との間で改税約書かいぜいやくしょ)に調印した。これは外国からの輸入税を軽減することで、外国製品の輸入に便宜を与えることが目的であり、日本に有利な点はほとんどない。具体的には、安政5カ国条約の税率を廃止して5%の従量税(下記参照)に統一する、というものであった。
1858年締結の日米修好通商条約で、既に日本は関税自主権を失っており、その弊害が表面に現れた結果となった。幕末経済の研究によると、この1866年までは輸入超過であったが、翌1867年からは逆転して輸出超過となっており、改税約書の影響が大きかったと考えられている。
こうして日本は貿易上ますます不利になり、税権の回復は明治政府の重要な課題となった。


調印までの経緯とその内容

まず、日米修好通商条約の貿易章程で、神奈川開港5年目に税について再検討する、という規定があった。また、新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市を5年間延期した代償として、輸入税を軽減するという約束を交わしていたという。さらに、四国艦隊下関砲撃事件の際、列強の艦隊は軍事力を背景に条約勅許や税則改定を要求していた。
改税約書は本文12条と付属運上目録から成り、本文では
・貨物の引き揚げ、船積みの際の制限の撤廃
・内外貨幣の等価交換
・日本人の海外旅行と貿易の自由
などが規定されている。

従量税

従来は従価税といい、その商品価格に税率をかける、という税則であった。物品によって、3〜35%の税をかけることが取り決められていた。今回取り決められた従量税とは、過去5年間の平均価格で商品の価格が決定され、その価格ではなく重量あるいは容積に税率をかける、というものであった。
この従量税で日本が不利な点は、価格の決定に関税役人が干渉できないことがまず一つである。従価税なら、あまりに理不尽な価格をつけられても、役人が抗議することができるが、従量税ではそれができなくなってしまう。また、物価は普通上昇するものであり、従価税なら物価の上昇と共に税も上昇するのだが、従量税では過去の価格が影響してくるため、税収入が低く抑えられてしまうのである。

<参考書>
・日本全史(講談社)
・新詳日本史図説(浜島書店)

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