神戸海軍操練所

<概要>

元治元年(1864年)5月21日。幕府は勝海舟(42歳)の献策を容れて、兵庫に海軍操練所を設置した。これは海軍士官養成機関であると同時に工廠でもある、大規模な海軍養成施設であったという。幕臣に限らず諸藩藩士も入所することができた。著名な人物では、坂本竜馬(30歳)、陸奥宗光伊東佑亨などである。設置のきっかけは、前年4月に将軍・徳川家茂が上洛して兵庫・大坂沿岸を巡察した時、当時軍艦奉行並であった勝の建言である。勝は神戸の重要性を家茂に説いた結果、操練所設置の用掛となって準備を進めた。勝はこの年軍艦奉行に昇進して操練所を所管し、坂本竜馬をはじめ、入所生の指導にあたった。
しかし、7月の禁門の変で、一部の学生が長州軍に加わっていたという理由で勝は罷免され、操練所も翌1865年3月12日に閉鎖されることになった。
操練所が活動した期間はたいへん短いものであったが、後の日本海軍の礎を支える人材を輩出したことで、その役割は大きかったと言われている。

<参考>
・日本全史(講談社)
・神戸海軍操練所跡説明書

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