築城年 | 1602〜08年 | 分類 | 平山城 | |
築城者 | 寺沢広高 | |||
歴代城主 | 寺沢家 → 大久保家 → 松平家 → 土井家 → 水野家 → 小笠原家 | |||
現在地 | ||||
佐賀県唐津市東城内8−1 |
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略歴 | ||||
・慶長7年(1602年) 寺沢広高が12万3千石の領主として築城開始 |
<唐津城の沿革>
唐津城を築いた寺沢広高(てらざわ ひろたか)は、豊臣秀吉の家臣として活躍し、文禄4年(1595年)に波多家が改易されたのを受けて、唐津の領主となりました。関が原の戦いでは東軍に属して戦って戦功を挙げ、新領地として天草を与えられ、12万3千石の大名となります。唐津城は、寺沢家の居城として慶長7年(1602年)から築城が始まりました。城の区画は大きく本丸・二の丸・三の丸・外曲輪に分けられ、本丸は満島山という小高い山を人工河川で陸地から切り離されております。このため、唐津城の本丸は北が海、東と南は大きく広がった松浦川に取り囲まれるという、たいへん特徴的な形になっています。この形から、唐津城は「舞鶴城」という別名がつけられております。
広高の後を継いだ堅高の時代に領国の天草で島原の乱が勃発。これが原因となって、天草は没収されたうえに、堅高はその後自殺。後継者となる嫡男がいなかったため、寺沢家は断絶となり、一時幕府直轄領となりました。その後、唐津には大久保、松平、土井、水野、小笠原の譜代大名が治めております。著名な人物としては、幕府の老中として天保の改革を指揮した水野忠邦がおり、唐津は譜代大名の出世登竜門のような位置づけになっていたそうです。
さて、上の写真には五層の立派な白亜の天守閣が映っておりますが、これは昭和になって新しく築かれた現代の天守閣です。記録に残っている絵図を見ても、天守閣が描かれているものは発見されておらず、天守閣は当初から築かれなかった、と考えられているそうです。
<おすすめ見所>
・天守閣
上記の通り、唐津城の天守閣は現代になって作られた観光施設であります。なので、歴史的な価値は皆無!!
・・・と言っては話が終わってしまうので、ちょっとばかしこの辺の話を。天守閣の建築にあたって、モデルとされたのは、慶長時代に築かれた豪壮な天守閣だったそうです。有名どころでは、姫路城、熊本城、彦根城などです。拙者が思うに、唐津城が一番似ているのは会津若松の鶴ヶ城だと思います。同じ五層ですし、最上階の望楼といい、かなり似ていると思います。
<見学情報>
・藤棚
天守閣の下の曲輪には、大きな藤棚があります。ゴールデンウィークのころにちょうど花盛りとなるので、たいへん綺麗です(^-^)
・虹の松原
城の東側に、有名な虹の松原があります。これは、寺沢広高が防風林として作ったものであるそうです。唐津観光の際は、一緒に見て行くのがオススメです。
・駐車場
有料駐車場が城の周囲にいくつかありますが、本丸入口の向かいにある東城内駐車場が一番近くて便利です。
・休館日:12月29日〜31日 ・入館料:大人400円